MM編集部とその周辺。
こちらはMMジャーナルの番外編。スポーツライター梅田香子のブログです。スポーツ以外のこと、バイリンガル子育てや自閉っ子との生活や旅行の日々を綴っています 。

江川事件と西武の怒りと下田コミッショナーのお話

 ときどき思うのですが、日本人の英語は遠回しすぎませんか?
 クレームとか、申請ならまず最初にわかりやすく題名を書く。そして、1行めにまず用件、それから説明という順番のほうがいいと思います。とくに英検3級より上はエッセイがあるので、この点は大事です。

 さて、手塚治虫著「アドルフに告ぐ」は好きな漫画です。

   でも、漫画は漫画。史実とは違う点も多いです。

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 少し話が飛びます。「江川事件」が起きたとき、私はまだ中学生でした。
 私は国分寺市と小平市の境目に住んでいたので、西武線の「鷹の台駅」でした。
 「鷹の台」の隣の「恋ヶ窪」駅まで電車に乗って、おりると国分寺市立第一中学校まで徒歩5分。
 徒歩でも30分ぐらいでしたが、遅くなるとあのへんは変質者がでます。定期を買ってもらっていました。
 ほぼ毎日、どきどきしながらスポーツ新聞をキオスクで買っていた記憶があります。
 主に中日ドラゴンズの星野仙一に一喜一憂していたのですが、西武鉄道が九州のライオンズを買収したばかり。

 クラウンライターライオンズは前年のドラフトで法政大学の江川卓を指名、「九州は遠いです」と断われていました。

 浪人中の江川は南カルフォルニア大学で、練習させていました。国会議員の世話で、三菱商事の上田さん方にステイしていたのです。上田さんは「会って話したい」という西武の申し出を断りつづけました。

 西武の怒りは大地の怒り?

 それまで西武系列のバスやタクシーはすべて三菱でした。

 翌年から日産ディーゼルに変更。三菱は数百億円の報復をうけたのです。

 ともあれ、江川は巨人がドラフトで当たりクジをひくのを待つことにした・・・かのように思えました。

 あっと驚くウルトラCを用意してあったのです。
 ドラフト会議の前日、ライオンズとの交渉権を切れたため、「空白の1日」という強引な解釈で、巨人が江川の入団を発表。

 場所は母校の作新学院の理事長で、元犬養毅首相の秘書官、現役の自民党副総裁、船田中の事務所でした。

 犬養首相の元秘書官て、こんなこと思いつくのか!?

 「話せばわかるよ!」「問答無用!」

 ・・・なんてつぶやいた中学生は私だけだったかも。

   翌日のドラフト会議を巨人が欠席、阪神が一番クジで江川を指名。巨人は脱退して新リーグを作るとかすっだもんだ。
 新コミッショナーに下田武三してからは、一応パタパタと片付き、小林繁が江川と交換トレードで阪神タイガースのユニフォームを着るはめに。

 ずっと後になってから、私は下田さんと話をする機会を得ました。
 1907年生まれの下田さんは、来栖三郎よりちょうど20歳若い外交官でした。
 1943年から、敗色濃厚になったソ連(今のロシア)のモスクワ大使館に赴任。1945 年2月に帰国命令を受けました。
 シベリア鉄道では日本人は自分だけ。釜山港に到着すると、潜水艦の攻撃に備え、乗客全員に浮き袋が配布されました。
 下関港から列車に乗ると、東京の空が真っ赤に燃えています。3月10日の大空襲でした。
 ポツダム宣言は7月26日に発表。印刷したものが日本中に飛行機でばらまかれます。

 その日本語が稚拙なものだったので、若き下田さんが日本語訳しなおしたそうです。

 回答文をラジオで傍受して、翻訳したのも下田さんの仕事。subjectを「制限の下に置かれる」と意訳したのも下田さんのアイデアでした。

 下田さんは真珠湾攻撃の日のことも来栖大使のことも、よく知っていました。


「あの日、真珠湾攻撃よりも55分遅れて、大使がハル国務長官に提出したものは、”帝国政府ノ対米通牒覚書”ですよ。正式な”宣戦布告文”ではありません。時間どおり提出していたとしても、奇襲は奇襲でした」
 私にそのことを気がつかせてくれたのは下田さんです。
「奇襲するつもりがなかったら、”declaration of war(宣戦布告)” と文書の上に書いて、”これから戦争しましょう”と数行で終わりますから、翻訳に時間がかかるわけないでしょう」

 

 普通に考えたら、そうですよね。

 ただ来栖大使は明治の男ですから東京裁判のこともあり、ぐだぐだ言い訳はしたくなかったような気がします。東京裁判のキーナン判事に会ったときも、天皇の免訴について協力を申し出ています。

 もっと長生きしていたら、ぶちまけてくれたかもしれません。
 ちょうど手塚治虫の「アドルフに告ぐ」にもそんなシーンがあります。
 週刊文春の連載でしたが、手塚さんは休載が多かった。「ちょっと買ってきてくれ」と星野さんに言われたときのこと、思い出しました。

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 リンク先の資料9をダウンロードすればわかります。長い文章の後、最後に「アメリカとは話し合いで解決したかったが、解決しそうに無いので交渉はやめます」という内容になっています。


  http://www.jacar.go.jp/nichibei/reference/index05.html
 
 宣戦布告「開戦の詔書(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)」は真珠湾攻撃の後に御前会議を催し、発せられています。Bye now.