ツイッターやブログをとおして、仕事をいただいた数はもう数えきれません。
それを感謝する一方、読者の方や関係者や遺族からも、情報や資料もたくさんいただきました。
本当にありがとうございます。
そのひとつが、TV放映された「美貌なれ昭和」の完全な映像です。
前にこういうことを書いたら、親切な方が郵送してくださったのです。もう郵便ポストの前でおどっちゃいました♪
深田祐介著「美貌なれ昭和」は好きな作品で、擦り切れるほど読みました。
だいたい私は新しい小説とか読まず、気にいった本や映画ばかり繰り返し、しつこく見る粘着タイプなのです。
昭和12年、東京―ロンドン間を「神風号」で、スピード世界記録を樹立した朝日新聞の飯沼、塚越両飛行機。
この神風号は陸軍と朝日新聞が共同開発してものでした。
私の母もまだ3才。祖父母から日本中が熱狂したという話は、何度も聞いたそうです。
当時の様子はこの本を読んで想像するしかありません。それこぞ羽生 結弦選手が五輪で金メダルをとった瞬間のような喜びと興奮で、日本列島が包括されたのでしょう。
今なら、美貌なれ平成のスケーターたち、かな?
さて、「美貌なれ昭和」のドラマでは最後のほうに、留学中のバイオリニスト、諏訪根自子が来栖輝と共に花束を渡す新聞写真を写しだされていました。
来栖輝さんはアメリカ人と結婚して、曾孫が私の娘にフィギュアスケートを習っていたりもしました。
私は作者の深田さんにいつも聞いてみたかったのですが、ついつい聞きそびれてしまったことを残念に思っています。
深田先生はマスコミドラゴンズ会の会長でした。
実際に諏訪根自子さんも来栖輝(ピア)さんもインタビューされて、この本を書かれています。
そして、来栖大使の長男、ボブこと良のことにも触れています。
シカゴ生まれ(なのでスケートも得意。スポーツ万能の美男子でした)の良はこの神風号に憧れ、徴兵されてからテストパイロットに転じます。
そして、終戦の年、とても残念なことに、福生基地のプロペラ事故で亡くなるのです。
深田先生はこの本で来栖良ことには詳しく触れています。
でも、その年の暮れ、来栖三郎がはじめて授かった初孫のことにはまったく触れていません。永田町の家はほぼ全焼してしまったので、借り住まいしている寺で女の赤ちゃんがよちよち歩きしていたという記述は残っています。
その赤ちゃんが慶応大学へ進み、「神宮の恋」で明治大学の星野仙一と結婚するわけです。
「深田先生はどうしてそのことにはまったくふれなかったのかなぁ」
と私が口すると、たいていの人が、
「どうでもよかったからじゃない?野球とは関係ないし」と言うのです。
が、深田先生は熱心なドラゴンズのファンでした。知らなかったはずはないと思います。でも、やっぱり「美貌なれ昭和」とは関係ないかな?
今でもときどきそんなことを考えてしまうので、生前にちょっと聞いてみればよかったな。
でも、20代前半の私は今よりずっとシャイだったのです。と言ったら、関係者一同に叱られそうですが。
ともかくこの本は小野アンナのことにも詳しく触れていて、私はいろいろな角度から楽しませてもらっています。
ばいなう!
この本もよかったです。