次女が洋服をずたずたに切ってしまうマイブーム、本日もつづいております。
めげますなぁ。
亡き師匠、永谷脩さんの「おめえよ、生きていくってのはつらいことだよなぁ」という声が聞こえるかのようです。
こういうのを何時間も眺めて見たり。
でも、星野さん、どうやって努力したらいいのか、立ち止まってしまいそうになりますよ。
閑話休題。暗い話題がつづくので、ちょっと明るいバカバカしい話を。
夫と私はどこで知り合ったの?
よく聞かれます。知り合ったとき、2人合計100歳でした。
ミクシィで知り合いました。
はじめて会った場所は、松山市三番町の「ジュークジョイントつる」です。
まだ福岡の飯塚のリンクに娘を毎日、送迎していた頃。週末は糸島半島に通って、自閉症児の療育です。
19年の結婚生活を経て、泥沼の離婚調停中。新しい夫を探していたわけではありません。大工さんです!
福岡の家とシカゴの家の両方、修復工事をしてくれる大工さんを探していたのです。
愛媛県育ちの夫とは、ミクシィがなかったら知り合う機会がなかったように思います。こんな自己紹介を書いていました。
やれやれ、ブルースか、というのが最初に読んだときの感想。ハンドルネームは「バディ・ゲイ」なので、バディとかバディ吉と呼ばれていました。
そのうち携帯電話で長電話するようになりました。まず朝起きて1時間、昼休みに1時間、夜落ちするまで5-6時間。
このバディさん、オーティス・ラッシュには相当に入れ込んでいました。
私はあまりブルースは好きではないのです。でも、オーティス・ラッシュはさすがに知っています。奥さんが日本人で、次女のゴッドファーザー(名づけ親)です。
「オーティス・ラッシュってあのオーティス・ラッシュ?私の次女の名づけ親よ」
これには相当に驚いたようです。
ネットだけの知り合いではなく、共通の信頼できる友人が小倉にいました。この方がバディさんのこと、「恩がある」「なくてはならない大切な友」みたいに書いていて、すごく印象に残っています。
今でも夫のバディさんはよく言うのです。
「夢の中に障害のある子を連れた女の人が現れたんよ。わしはその女の人のことが好きで好きでたまらなくなってしもうた。頭からはなれない。これは恋だと思う」
そう書かれたミクシィ宛のメールが今でも手元に残っています。