スポーツライター梅田香子とMMカンパニー&CHICAGO DEFENDER JAPAN

梅田香子 contribute to MM JOURNAL

ぼこぼこ場外乱闘編

スポーツライター梅田香子の日常を日本語でメモ代わりに綴ったものです。

「日本一長い遺書」を読んで

 「日本一長い遺書」は とても好きな文章、好きなブログなので、消えてしまうことが怖いのです。

 引用の法則に基づき、下に貼らせていただきます。

 実は私もブログを書くとき、長女への長い遺書を兼ねた気持ちをいつも持っています。

 似ても似つかぬ内容なのは、あのアメリカン長女が長い日本語を読む可能性は薄いせいでもあります。そして、次女は知能テストを受ける能力もない知的障害者なので、望み薄です。

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 長女にあてて、エンディングノートは英語で残しておくつもり。

 50代の私はまだまだ生きるつもりでいます。が、そんなに長生きしたいという願望はもともともっていません。

 バッドスターの下に生まれて、というブルースの歌があります。

 私はたぶんその逆、大した才能も特技も学歴も美貌も備わっていないのに、なぜか恐ろしく強運です。昔からプロ野球選手とか、フィギュアスケート選手とか、いろんな人に会う仕事に就きたいと漠然と考えていました。

 その夢はすべてかなっています。わが青春に悔いなし。

 成人してからお金に困った記憶がありません。

 そのせいか、とくにお金もちになりたい、有名になりたいという思いはありません。

 心にいつもあったのは、家族がそれぞれが好きな仕事して、楽しく生きていけたらいいな、という強い思い。それもかなっています。

 ケチくさい親に育てられたせいか、私は昔からあまりお金をつかいません。

 投資も何もしていないけど、使わないから貯まっていく。老後もなんとか生きていけるめどはたっています。

 だからといって不安がないわけではありません。人一倍貧乏性で臆病だから、貯金しないと不安なだけ。

 夫は8歳上だから、いつかは私たちはまた3人家族にもどってしまうのかも。

 次女は自閉症なので、平均寿命は38歳といわれています。

 そうなるともうあと20年をきってしまっています。その頃、私は70歳ぐらい?

 生きている時間は他人になんといわれようと、あの子があの子らしく生きていけるように、精いっぱい楽しくすごさせてあげたい。

 コロナが終わったらハワイあたりに住居を買うつもり。セカンドハウス、否、サードというか、もしかして4番目か・・・?

 子供に先だされることがあったら私は生きていく自信がないし、もう意味もない。かといって子供たちの足手まといにもなりたくないから、オレゴン州あたりで尊厳死を考えています。

 幸せのハードルを高くしてしまうのは、たしかに不幸だと思います。

 たとえば、フィギュアスケートにしても長女が遠い昔、東京ブロックで優勝した瞬間、私は気が遠くなるほどの幸福感に包まれ、足が震えてしまいました。それで充分すぎるほど満足です。

 若き日の羽生くんや宇野くんたちと同じ試合、同じ合宿に参加することができました。

 そして長女は今コーチとして「歌子先生や濱田先生みたいになりたい」と日々がんばっています。あの子にとっては1回の優勝とその後、勝てなかったことのほうが大きな意味をもっていたみたい。

 うちの子は選手としての最後の試合が、今季の全日本と同じ長野県の会場だったので、ふとそんなことを考えてしまいました。<了>

 

 

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幸せのハードルを自ら高くしてしまう人は、一生不幸です。

たとえば、「両親の顔を見たことがある」というたったこれだけの幸せも、私にはありません。
両親の顔を知っているのなら、あなたは私よりも幸せです。

たとえば、「32歳の誕生日を、ガンにならずに迎える」という幸せも、私にはありません。
もしあなたが32歳の誕生日を健康に迎えたことがあるのなら、あなたは私よりも幸せです。

もし、この両方とも揃っているのなら、あなたは私よりずっとずっと幸せです。

それ以上の、何を望みますか?

お金が欲しいですか?
愛情が欲しいですか?
時間が欲しいですか?

何が不満ですか?

夫の給料が少ないことですか?
妻の体重が増えてきたことですか?
子供の好き嫌いが多いことですか?

満たされないものをひとつひとつ数え上げるよりも、今までに自分が手にしてきた幸せを、数え上げてみませんか。

人間は、生まれたときからすでにプラスかマイナスを背負っています。
生まれたときに沢山のマイナスを背負っている人は、ゼロを目指すだけでも大変な思いをしなくてはならないし、沢山のプラスを持って生まれた人は、たいした努力をせずとも、何でも手に入りやすいことでしょう。
「人類みな平等」だなんて、幻想に過ぎません。

つい1週間前に買ってもらったおもちゃに飽きて、あれも欲しい、これも欲しいとかんしゃくを起こす、おもちゃ売り場の子供を見たことがありますか。
あなたはそれを見て、どう思いますか。


私にとって、常に不満を言うような人はもはや、そんな駄々っ子にしか写りません。

先日も、テレビをぼんやりとながめていたら「どうして私たちにばかりこんな不幸が起きるのでしょうか」と嘆く夫婦がいました。
2つ3つ話を聞いただけで、可笑しくなってすぐに消してしまいました。
幸せのハードルが高い人は、不幸のハードルがとても低いのだということも、よくわかりました。



私の今の願いは、これ以上足の筋肉が衰えないよう、この個室から外に出て廊下を歩くリハビリを始めたい、ただこれだけです。

理由は、息子がもしもお見舞いに来てくれた時には、せめてエレベータまで見送りたいからです。

あの救急車に運ばれた日、小さな手で私の手を引いて、エレベータまで私を見送ってくれたあの子に、少しでも元気な姿を見せてあげられるように、したいからです。