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梅田香子 ぼこぼこ場外乱闘編

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こちらはMMジャーナルの番外編。スポーツライター梅田香子のブログです。スポーツ以外のこと、バイリンガル子育てや自閉っ子との生活や旅行の日々を綴っています 。

吉田茂からの手紙

 吉田茂から来栖三郎宛の手紙。
 英語で「もし悪魔に息子がいたら、その息子は東条(英機)だ」と書いてあります。
 あとはアメリカで評判が悪くても、いつもわかってもらえる日がくる、みたいな内容ですね。
 吉田茂は筆まめな人で、東郷茂徳外務大臣のことをハルノートをめぐって怒鳴りつけたものの、すぐに和解。代々木の刑務所から出してもらったときは礼状を書いています。
 優柔不断な陸軍大臣の阿南惟幾をつかまえ、東郷は「きみ、吉田君のことはどうなっているのか!」と怒鳴りつけたそうです。

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 1936年、犬養毅の暗殺で日本の政党政治は終焉。軍人の軍人による軍人のためのがはじまります。普通の学校にも軍事教官が派遣され、軍事教育です。
 なので、軍人以外の人間のことを総称して、「地方人」と呼ばれていました。
 政党政治が再スタートするのは、終戦後。
 議員たちのキャラがとても濃いせいか、野党と与党のバランスがとれていたようです。
 私の母は昭和9年生まれ、政治に詳しくもなんともありませんが、「吉田茂が面白くて好きだった」と言います。
 なので関連本をアマゾンで購入して、送ってあげたりしています。
 以下は吉田茂関連エピソード。順序不同。

 

・吉田茂には父が2人いる。NHKのドラマみたいに悲壮感あふれるものではなかったらしい。実父は土佐の志士、竹内綱でいごっそう。養父は越前福井藩の末裔。

 2人は大の親友で、竹内は一人も子どもがいない吉田に、「今度うまれた子はあげよう」と申し出た。

 最初は4男がいくはずだった。が、「これは顔がかわいいから、次のをあげる」となり、5男の茂が3才のとき養子にだされた。

 


Yoshida In London (1954)

・吉田健三は幕末、若くしてイギリスに渡り、明治政府に教職して軍艦から平気の買い付けを行う。40歳で病死して、11歳の吉田茂が大磯の豪邸と共に財産を相続する。50万円、今だと50億円ぐらい。生涯、財布を持ち歩かなかった。

 長男には健一と名づけています。

 

落日抄―父・吉田茂のこと他 (1967年)

 

・吉田茂は19歳で学習院の領事科へ。院長は近衛篤麿、近衛文麿の父親。篤麿が早世して、領事科が閉鎖されたため、東京帝国大学へ。乗馬が好きで、馬で通った。もちろん運転免許は生涯なし。

 

・1906年、卒業と同時に高等文官試験に合格。同期に広田弘毅がいた。外務省も馬で通った。娘の和子も乗馬が好き飯塚に嫁に行くとき、「若葉」という名の馬を連れて行ったほど。

・戦争中は和子の思いつきで、芸者のおりんと母親も大磯の家に迎え入れる。この女性は生涯、決してマスコミとは話をしなかった。

 

・大磯の家には陸軍のスパイが2人入り込んでいた。マキという女中は「実家が農家です」と言って、せっせと陸軍から食料を吉田家に運び込んでいた。

 もう一人は陸軍中野学校からのスパイで、著作はむちゃくちゃ面白かった。便所の汲み取り、朝風呂の水くみ、畑づくりで、防諜活動する時間がとれなかったとか。

私は吉田茂のスパイだった―ある謀報員の手記 (光人社NF文庫)

私は吉田茂のスパイだった

 
・妻の雪子は牧野伸顕の長女、大久保利通の孫だったので、今でいう帰国子女、英語が多かった。日米開戦直前に乳がんで亡くなる。娘の麻生和子への手紙もたいてい英文だった。

 

・「昭和の淀君」と呼ばれた娘の麻生和子と和子の夫の麻生多賀吉と共に吉田茂を補佐する。多賀吉は8歳のとき、飯塚の炭坑王だった父に死なれ、全事業を引き継ぐ。

 酒も飲んだことがなかったが、新婚旅行で和子に教わり、酒好きに。板前を自宅で雇っていたので、和子は料理はまったくできなかった。

「本当の父親でもこれぐらい好きになれるかと思うぐらい、(吉田茂が)好きだった。あんな人間味のある人物にあったことがない」(麻生多賀吉談)
 
 麻生多賀吉と菱刈隆文(山下泰文がパーシバルにフィリピンのフォード工場で降伏文書に署名させたとき、通訳をした人物)が首相官邸で、新聞記者たちほぼ毎日、大げんか。。
 岸信介と鳩山一郎はマスコミあしらいがうまかったので、晩年の多賀吉は、
「もっと間に入って、うまくやるべきだった」
 と後悔している。


昭和宰相列伝5 鳩山一郎、石橋湛山(1954-1957)

 

・首相になると、この大磯通いで首相官邸車のドライバーたちは泣かされる。道路がまだよくないのに、100キロぐらいのスピードをださないと吉田茂がステッキで頭をこつん!「あのじいさんに殺される」と皆、運転をいやがったそうです。

・選挙演説が嫌いで、高知で遊説したときも、外套を着たまま。

「外套ぐらい脱げ!」というヤジにたいし、

「これが本当の街頭演説です」と答えたそうです。 

・吉田茂はだじゃれと動物が好き。NHKの「首相新春放談」という番組で、
「サルのコレクションなら国会に行けばいくらでもみられますよ、あははは!」
とやらかし、さっそく国会答弁で攻撃される。
 
バカヤロウ、が口癖。これをマイクでひろわれて、衆議院が解散してことも。

・吉田茂の写真嫌いで有名。カメラマンにコップの水をかけた。
「イギリスのイーデン(元英国外相)が群がるカメラマンにかけたことがある。チャーチル(元英国首相も)海水浴中に裸の写真をとろうとしてカメラマンに海水をぶっかけたことがあるよ」
 とうそぶく。

 

・孫の麻生太郎をかわいがっていてので、新聞社のカメラマンが太郎に写真の撮り方を教え、正月の一族写真を撮影させて、「現像してあげるね」と持って帰って、紙面で使ったこともある。吉田茂はこういう知恵と行動力をとても面白がった。

 

・ 孫の太郎を寄席につれていき、春風亭柳橋が高座から、
「ぼっちゃん、落語は好きかい」
 と話しかけている。
「落語が好きな子はえらくなるよ。吉田茂も落語が大好きだよ」
 と言ったので、
「おーい、ここにいるぞ!」
 と当の吉田茂が手をあげたら、うわー、よく似た人がいるもんだ、と演芸場は爆笑の渦となった。
 この頃はSPが一人だけ。
「総理、あまりめだつようなことはお控えください」」

 と注意されたそうです。

 面白かった吉田茂関連本を紹介しておきます。

 単行本と文庫の両方。というのも、吉田茂の本は文庫になるとき、ちょっと文章が削られていたりするからです。白洲次郎関連が多いかな。なぜかは知りません。

 麻生多賀吉との結婚話を仲人したのは、白洲次郎ではないそうです。

 「小説吉田学校」はまあまあかな。夏目雅子が麻生和子を演じています。

 ばいなう。

 

戸川猪佐武 文庫セット 各種 (文庫古書セット)

小説吉田学校[東宝DVD名作セレクション]

父 吉田茂

 

回想十年

麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀 (徳間文庫)