スポーツライター梅田香子とMMカンパニー&CHICAGO DEFENDER JAPAN

梅田香子 contribute to MM JOURNAL

ぼこぼこ場外乱闘編

スポーツライター梅田香子の日常を日本語でメモ代わりに綴ったものです。

スポーツの宮様、秩父宮殿下のお話

 秋篠宮邸が改築されるとのこと。こんなニュースを聞くだけで、昭和史おたくの私は踊りたくなります。

 秋篠宮邸のあったところに、昔は秩父宮邸がありました。洋館と和館があり、終戦の年の空襲で洋館は全焼、和館も住めないほど焼けてしまったのです。

 これはヤフオクで落札した絵葉書です。

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 この3階の部分がローラースケート場になっていたそうです。

 体を動かすことが好きな秩父宮は、公務がいそがしかった夜、夫婦で夜中にゴロゴロ滑っていたそうです。
 このことはこの2冊にもでてきます。

秩父宮―昭和天皇弟宮の生涯 (中公文庫)

勢津子夫人は父親が大使だったので、ロンドンやワシントンで育ちました。
スケートも上手だったし、雑誌もヴォーグやジャズを愛好していました。

結婚前は白洲正子さんとしょっちゅうアイスホッケーに興じたそうです。

 

銀のボンボニエール―親王の妃として (講談社プラスアルファ文庫)

 

 皇室とは縁がふかかった稲田悦子先生の物語(無料公開)でも、たびたび宮様にふれています。今上天皇も美智子妃殿下も皇太子たちも、稲田先生のレッスンを受けています。

news.mm-journal.com

 

 秩父宮邸は来栖邸に近く、秩父宮夫妻は来栖三郎大使の長男とは交流がありました。山王ホテルでスケートに興じたり、アメリカ大使のジョゼフ・クルーの招待で、何度もアメリカンで洋画を鑑賞しています。

 私が来栖三郎にしつこくこだわる理由はこれです。

 

 

 もともと 「スポーツの宮様」と呼ばれた秩父宮殿下は、昭和天皇の弟。昭和天皇は相撲が大好き。侍従長鈴木貫太郎と毎日のように相撲をとって育ちました。
 秩父宮高松宮は格闘技が好きではなく、スキーやスケートに昏倒していきます。
 
 明治天皇には15人の子どもがいて、成人した男子は一人だけでした。その大正天皇も病弱だったので、宮内庁は皇子たち(昭和天皇秩父宮高松宮三笠宮)を丈夫に育てるため、それは神経をとがらせ、粗食と運動を奨励していたのです。

 2.26事件の前日、昭和天皇は皇居でスキーを楽しんでいます。
 
 青山御所の池に氷がはると、秩父宮は弟たちはもちろん、西園寺公共や竹田宮もよびだし、イギリスじこみのコンパルソリを教えました。

 ただ秩父宮殿下にはとても謎が多く、2.26事件のときちょうど勢津子夫人が流産をされたという記録があります。

 あと欧州旅行のとき、吉田茂に説得されて、ヒトラーとの面会では反論する場面もあったとのことです。が、昭和天皇語録をみると三国同盟に賛成して口論になったとのこと。

 まあ、今から解決することではなく、そのへんを想像したり、国立図書館で資料をさがしたりするところに、私は面白さを感じているのですが。

 「高松宮日記」を読むと江田島海軍兵学校にいながら、高松宮が神戸の六甲山に氷がはるのを楽しみにしている描写があります。

 皇室とスケートは縁が深いので、私の長女は何度か秋篠宮家と練習で一緒になっています。それについて次回。