スポーツライター梅田香子とMMカンパニー&CHICAGO DEFENDER JAPAN

梅田香子 contribute to MM JOURNAL

ぼこぼこ場外乱闘編

スポーツライター梅田香子の日常を日本語でメモ代わりに綴ったものです。

「転進 瀬島龍三の遺書」と読む。また少しスケート。

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 瀬島龍三。伊藤忠商事の元会長、中曽根総理大臣のときのブレインでした。

 いまどき彼の名に興味をもつ方が少ないと思います。この本の表紙は東京裁判で証言している写真です。

転進瀬島龍三の「遺言」

 
 昔、巨人の渉外担当のリチャード背古さんという方がいました。取材対応にはとても柔らかなのですが、肝心要のことは決して話せない。のらりくらり交わす優秀な人材。「瞬間湯沸かし器」ではなく、「瞬間ごまかし器」というあだ名がついていました。

 まあ、これは職務として、当然のこと。

 瀬島さんも「瞬間ごまかし器」だったので、重要なところになると話をそらす。「シベリアで左官を毎日やらされた」とか、すぐにばれるようなウソもつく。

 ただこの本の著者は歴史探偵ではなく、東急グループで社長をされた方のようです。瀬島さんとは個人的な付き合いだったせいか、あの手この手で本音をひきだしています。

 私がいちばん知りたかったのは、真珠湾の直前、来栖三郎大使が外務省の寺崎英成と「陸軍に命をとられる」覚悟で、戦争回避のために奔走したルーズベルトの親電です。これは「マリコ」という本で詳しい。ドラマになっています。もう一度見たいなぁ。

www2.nhk.or.jp

 陸軍参謀本部では「来栖の飛行機墜落を祈るもの」ともいたそうです。

情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記 (文春文庫)

 東条英機がどうこうより前に、若い兵隊たちはアメリカをやっつけたくて、うずうずしていた熱気が伝わってきます。

 その渦中に若き参謀として、瀬島さんはいたわけです。

 ルーズベルト大統領が昭和天皇にあてた親電は12月7日正午、東京中央電信局に入ります。
 
 短波放送ですでに親電のことは報道されていたため、によると天皇陛下は短波で知っていて、

 「木戸も心配して待ち受けたが一向に来ない。どうなったのかと思っていると、ついに十二月八日午前三時に東郷(茂徳)が持ってきた。」(「昭和天皇独白録」より)

 木戸幸一さん・・・なんてたぬき。

 東京裁判で明らかになったですが、参謀本部通信参謀、戸村盛雄少佐が「10時間だけは配達を遅らせろ」と軍刀をぬいて局長を脅かしたそうです。
 こんなだいそれたことを戸村少佐が一人で思いついたのかどうか。ルーズベルト大統領から昭和天皇への親電ですよ。
 
 この著者が瀬島さんにこの点を聞くと、またまたいつものごまかし。

「通信参謀の戸村少佐とは、常に連絡をとりあっていましたからね。電報は日々、たくさん届く。親電の件についても報告を受けたのは覚えているが・・・。そのことについては戸村さんが、書いています」
 とはぐらかした。
 
 このへんにしておきます。ともかく私のこの昭和史おたくぶりは評判がよろしくない。

「星野仙一のファンだからって、そこまで掘り下げる意味ってある?」
 ありません。

 そのとおりなのですが、いろいろ話にとっかかりにはなりましたよ。

bunshun.jp

 この著者は東大を出た後、明治生命に入社。なんと五島慶太の後をついだ五島昇にヘッドハンターされて、東京エージェンシーに加わり、創業メンバーの一人でした。

 五島慶太という方は戦前、東京五輪を返上させないよう、奔走されました。

 自分のゴルフ場の土地を提供するなど、木戸幸一に寄付を申し出ています。

 時流の流れに逆らえず、東京と札幌五輪が流れてしまうのは知ってのとおり。

 五島昇氏は国土計画の堤義明と仲がよく、長野五輪開催を実現するなど、日本のウィンタースポーツにはとても貢献されていました。

 子孫たちは皆、名字が変わってましたが、フィギュアスケートやっていました。シカゴの家にホームステイしたこともあり、なかなかの好青年だったのです。

 ばいなう。

わが鐵路、長大なり 東急・五島慶太の生涯

飛竜の如く?小説・五島慶太? (光文社文庫)

地下鉄誕生―早川徳次と五島慶太の攻防 (交通新聞社新書)

小説東急王国 (講談社文庫)