スポーツライター梅田香子とMMカンパニー&CHICAGO DEFENDER JAPAN

梅田香子 contribute to MM JOURNAL

ぼこぼこ場外乱闘編

スポーツライター梅田香子の日常を日本語でメモ代わりに綴ったものです。

鷹の台駅物語~竜の子プロダクション~

誰も語らなかったジブリを語ろう (TOKYO NEWS BOOKS)

 図書館でたまたま「誰も語らなかつたジブリを語ろう」という本を借りて見ました。アニメもジブリも好きだけど、くわしくありません。なんとなく読みはじめたら、面白いのなんの。やっぱりほめ殺しみたいな本より、こういう批判いっぱいの本のほうが面白いものです。愛情いっぱいの批判。

 作者の略歴をみたら、なんと1977年に竜の子プロダクションに入社。

 その頃はもう国分寺駅のほうに移転してしまっていたかもしれません。
 もともと竜の子プロダクションというのは私の実家から徒歩圏内にありました。もよりの駅は西武(ライオンズ?)線鷹の台駅。といっても10分以上、歩きます。

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 私が子供の頃、家の両側は同じような家が並んでいました。後ろは畑で、道路一本隔てた向こう側に雑木林が広がっていたのです。
 まだ車がそんなに多くなかったのに、この道路が十字路になったところで、ときどき交通事故が起きました。

 近所には同じ年ごろの子供が多く、小学校が終わると、うちの前でドッジボールをするのが日課になっていました。道路はまだ舗装されていなくて、両側がどぶになっていたのです。ボールがそこにはまると、道路の砂をかけて、ごしごしこすっていた記憶があります。

 ときたま裏でがしゃーんという音がして、母や近所の人が飛び出していくと、車同士がぶつかっています。
 大人たちはそれぞれの家からタオルをもってきて、救急車が来るまでタオルを次々とさしだし、そのタオルがみるみる真っ赤に染まっていきます。「子供は見に来てはだめ!」なんて言われていました。

 そんなわけで、親からその道路には近づくな、と言われていました。でも、近所の子たちと虫とり網なんかで遊んでいた時代です。そこの雑木林では蝶々やクワガタをよく捕獲していました。そして、そんな雑木林の中に竜の子プロダクションは建っていたのです。

 ビルというよりも、普通の一戸建てにプレハブをかぶせたような不思議な形をしていました。ジブリの「ハウルの動く城」を見たとき、竜の子プロの建物を思いだしたほどです。しょっちゅう増築して、継ぎ足していたようです。

 会社というより、ときどき近所の子どもたちと集められ、「みなしごハッチ」の8ミリ版の試作をみせてもらい、感想を求められたりもしました。

 そこは小平市と国分寺市の境目あたりで、もともとは農家が多く、あまり店や会社がありません。主婦のパートといえば、この竜の子プロでセル画を塗ることだったのです。

 友達の家に遊びに行くと、番号がついたポスターカラーが棚にびっしりと並び、部屋に洗濯紐をわたして、そこに塗ったばかりのセル画が洗濯バサミではさまれ、ぶらさがっていたものです。ガッチャマンが多かったように思います。

 この本にはそんなことは書かれていません。
 なんとなく忘れていた鷹の台での日々を思い出してしまいました。今もそこに実家があるのですが、ずいぶん変わってしまったものです。

昆虫物語 みつばちハッチ〜勇気のメロディ〜 (小学館のテレビ絵本シリーズ)

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タツノコプロアニメ大全史 (タツミムック)

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