スポーツライター梅田香子とMMカンパニー&CHICAGO DEFENDER JAPAN

梅田香子 contribute to MM JOURNAL

ぼこぼこ場外乱闘編

スポーツライター梅田香子の日常を日本語でメモ代わりに綴ったものです。

ビールマンスピンへの思い

 

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またまたしつこくタマラ本です。
何度も読み返しています。
写真なんか貴重なものが多く、タマラの若いときのスパイラルの美しさといったら・・・言葉がありません。

表紙も好き。ついうっとり見とれてしまいます。

ペアのコーチなのに、なぜビールマンスピンなのか。それは中を読むとわかります。

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というのもビールマンスピンという名前になる前から、タマラはやっていたからです。
でも、ビールマンの名前がついたことをタマラは憤ったりしていません。そして、そのタマラにたいして、ビールマンのコーチの言葉がまたすばらしいのです。

たしかに「下町ロケット」(←飛行機で見てはまりましたw)のように特許をめぐる攻防がフィギュアスケートにはありません。選手はあくまできれいに滑ることを念頭に置き、新しい技を開発しようという発想がないからだと思います。

長女はごく小さい頃からビールマンスピンをやっていました。アメリカのコーチは「まだ小さいのだから、腰を痛める」と言って、日に2回までと制限していました。でも、背筋が気持ちいいらしく、くるくる左回転と右回転両方を回っていました。

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小さい頃から年に10日ぐらい。日本で滑っていたので、レイアップスピンがアメリカっぽかったこと、それとビールマンを両方に回転することでずいぶん驚かれました。それでコーチや他のスケーターが「どこから来たの?」「先生は誰?」なんて話しかけてくれたようです。

2005年に東京ブロックで優勝したときのプログラムにも入っていました。

アメリカではあまり両回転はめずらしくなく、グレーシー・ゴールドも最初はこれがトレードマークでした。競技会ではたいてい一緒だったので、遠くから見ていてもグレーシーが来ている、とわかりました。

宮原知子ちゃんもアメリカ育ち。彼女はもともと左回転だったのを日本のスケート事情にあわせて、ジャンプからすべて右回転になおしました。

アメリカでは右も左も直したりしません。

クリスティ・ヤマグチルディ・ガリンドのペアはお互い逆に回転していました。

日本はクラブの貸切とはいえ、人数が多いので一人だけ逆に回転すると、ウォームアップから困ってしまうので、直します。これは身体の軸をぎゅっとしめつける練習にもなります。

佐藤久美子コーチはトリプルの時代ではありませんでした。2回転ジャンプなら両方で回転できるそうです。

そうそう、ジェイソン・ブラウンの振付師、ロヒーン・ワードはトリプルルッツも両方の回転で飛んでいました。ただこれは新採点ではあまりメリットないです。

話しをビールマンに戻しますと、その後はビールマンスピンで両方に回転する子を日本でも見るようになりました。長女はべつに自分が最初という意識をもっていません。関心がないのでしょう。頭の中は今でも自分の生徒にどうやってトリプルを習得させるか、そのことでいっぱいのようです。

新採点になったから、ロシアでもアメリカでも日本でもビールマンスピンをする選手が増えました。長い年月にまたがって、時代や性別をこえて、彼らは目の見えない糸でつながっているような気がします。男子ではプルシェンコがこれをやり、それが羽生選手に受け継がれた。

スピンの背景には大小の物語がいくつも投影されています。

二重国籍とか、母子家庭とか、障害児の姉とか、いろんな思いを経験してきた子です。ビールマンが世界共通語のような役割をはたしてくれたことに感謝せずにはいられません。