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こちらはMMジャーナルの番外編。スポーツライター梅田香子のブログです。スポーツ以外のこと、バイリンガル子育てや自閉っ子との生活や旅行の日々を綴っています 。

自閉症とピカチュウ「名探偵ピカチュウ」編

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 たんに黄色が好きなのか?スプーが好きなのか?ぴかちゅうが好きなのか?

 
「Pokemon!」がアメリカで放送されるようになったのは、1998年ぐらいからです。 

 週1ではなく、毎日の放映。


「話がおいついたらどうするんだろう?日本ではまだ見ていない新作が放映されるのかも」

 という噂が日本人社会で流れました。結果、何の説明もなく、何ごともなかったように第一話に戻って放送されたのです。万事にアバウトなお話。

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 この頃はマイケル・ジョーダンの全盛期。

 ニフティのバスケットボール・フォーラムで知りあって友だちになった人たちが、日本から来てうちに泊まっていくことが多かったのです。

 たいていピカチュウグッズをおみやげにもってきてくれて、まだアメリカでは手に入らないものばかり。子どもたちは大喜びしました。

 なかなか発語がなかった次女。シカゴでSTにはじめて連れて行ったとき、ぱっと出た言葉が「きいろ!」でした。

 5歳のときで当時はまだ目線もあい、今ほど問題行動もなかったので、自閉症専門医も「ボーダー」という診断。STも「はっきりはわかりませんけれど、普通の自閉症児とはかなり違います。言葉はもっと出ると思いますよ」とのこと。さっそく週1回1時間(60ドル)通いはじめました。

 ところが、「きいろ!」がでたのは初日だけ。なかなか進歩がみられません。オウム返しですら口をぎゅっと閉じて拒否してしまうのです。
 それまでは日本にほとんど帰らず、せいぜい年に10日ぐらい。だんだん私は日本で専門医にみてもらいたいと考えるようになりました。
 
 長女は近所の小学校でたった一人の日本人。市の職員や専門家とカウンセリングを繰り返し、次女は少し離れたスペシャルニードの公立校へバスで通うことになりました。

 ところが、年に10日ぐらいの日本では、ぱっとみてくれる医者もSTもなかなかおりません。アメリカでもそうですが、自閉症の専門医は予約を入れてから3か月待ちというのがざらなのです。
 それと東京の実家では動くに動けません。私の兄弟は誤診で亡くなっていて、父は異常なほど医者ぎらいでした。

 「言葉が遅いだけで正常な子だ!」
 「母親のおまえが仕事しすぎているだけだろう」
 「自分の娘のことを障害児にするつもりか?」

 長女のスケート関係のツテをたどり、次女は九州大学のこども病院と福岡大学でみてもらうことになりました。それもまたいろいろあったけれど、過程ははぶきます。

 めぐりめぐっとやっと九州の糸島半島でとてもいい医者とSTにたどりつきました。

 そこでも最初の訓練で、次女は「ピカチュウ」という言葉だけ口にしたのです。

 もしかすると、自閉症ではないかもしれない、という言葉に私たちは狂気しました。


 ところが、私は野球シーズンがはじまってしまうと、長くシカゴをはなれることができません。福留孝介選手がシカゴカブスに在籍していたのです。


 なので私の両親に福岡にきてもらい、次女を通わせてくれることになりました。

 このとき正式に自閉症という診断が2つの病院ででたため、今まで私のせいだと、ぎゃんぎゃん責めてきたことに後ろめたさを感じていたようです。2人の妹たちも「好きなようにさせてあげて」と後押ししてくれました。(妹の一人はホークスファンの九州男児と結婚しています) 
 
 最初は香椎のワンルームマンション、2年目からは中古の一戸建てを香住ケ丘に買い、私はほぼ一か月おきに日本とシカゴを往復する日々がはじまりました。

 写真は「トイザラス」で見つけたスプー。ぎゅっと抱きしめたまま、はなさないので当時の夫の弟が買ってくれました。相当に気にいったみたいで飛行機の中でも、ずっと抱きしめていました。

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 人ごみ、とくに小さな子がいるとパニックになってしまうので、映画にはなかなか連れていけません。
 でも、この「ディテクティブ・ピカチュウ」ならどうかなぁ。思い切ってすいている時間、連れてきてみようかしら。途中でだめになったら出て帰ってしまえばいい。

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 肩にピカチュウをのせながら、そんなことを考えている今日この頃。