グレーシー・ゴールドの復活を祝福したい。
てっきりスケート年齢が羽生選手と同じかと思っていたけれど、8か月違いでした。
長女と同じ世代なので、何度か同じ試合にも出ていました。
8歳といえば、羽生選手はノービスで試合に出ていた頃、グレーシーはフィギュアスケートをはじめたのです。
ちょっと中西部のコーチ事情を書いてみましょう。
シカゴにはサンティー兄弟の幼友だち、トム・ヒッキーというコーチがいて、グレーシーは彼の息子とペアを組んでいたのです。(写真は二枚ともグレーシー&ショーン・ヒッキーです)
なので最初は試合でもそんなに勝てずにいたのです。が、どんどん伸びてきました。速い時期、スピンは両方に回転していました。
彼女にジャンプ5種類を教えたのはこのトム・ヒッキーなのです。ヒッキーはサンティー兄弟の幼友達なので、うちもときどき習っていました。ヒッキーの奥さんもスケートコーチだったし、子供の一人が自閉症だったので、私とは話がいろいろあったのです)
その後、ヒッキー一家がミネソタに引っ越したこともあり、コーチを替えました。
次のコーチはロシア人の元アイスダンサーで、がんがん怒鳴って追い詰めるタイプ。ぐーんと上達はしたのですが、リンクではよく泣いていました。摂食障害気味になってロサンゼルスのフランク・キャロルにコーチ変更。これは大正解だったと思います。笑顔を取り戻しましたから。
グレーシーの現コーチはオレグ・エプスタインといって、エヴァン・ライサチェクの振付を長くやっていた人です。
もともとシカゴを拠点にしていましたが、マリナ・ズエラとミシガン州でコンビで指導しています。
摂食障害はフィギュアスケートと体操では、誰もがぎりぎりの背中あわせ。それは同時に「死」と背中あわせという意味でもあります。いろんなケースを見てきました。
野球と違って、私が絶対にフィギュアスケートの選手をけなさないのは、これが理由のひとつでもあります。
かつて何か月も入院と点滴を余儀なくされた選手がちゃんと立ち直り、結婚して子供を産んでいるのを聞くと、本当にうれしくなります。
結局のところ、このスポーツ、ライバルがいるようでいないようなもの。実はまず自分との戦いなのでしょう。