この捕捉です。
1957年の「文芸春秋」です。まだ私は生まれていません。父と母もまだ出会っていなかったはず。おそらく私が古本屋かヤフオクで買ったもの。
もくじが濃いです。
鳩山一郎さんはゴルフやテニスが大好き。書記官だった時代は首相官邸の運転手たちと、しょっちゅう公務中にぬけだして、プレーしていたそうです。
戦後は首相の座を目前としながら、突然の脳梗塞でほとんど寝たきり。左半身の麻痺は残ったものの、車椅子や杖で立てるようになりました。
ただ当時はまだ折りたたみ式の車椅子がありません。付き添え人は一人ではなく、2人か3人が常駐していたそうです。
新聞社は申し合わせ、抱きかかえられ、移動しているところは撮影しませんでした。
今とはカメラマンの数も違います。
この手記を読むと、鳩山さんの脳梗塞も、トイレで突然なのですね。
やっぱり脳梗塞はトイレと風呂場が要注意のようです。
6月だったらそれほど温度差はなかったと思います。
ストレスもよくなかったのでしょう。
復帰後は重光葵、岸信介たちと民主党を結成します。吉田は護憲派で、鳩山、重光、岸は憲法改正派だったので、意見があうわけもありません。
その後のことは私はそんなに詳しくありません。 小学生のときから、スポーツ新聞しか読まず、そのまま大人になってしまいました。
鳩山由紀夫さんが総理大臣になったとき、麻生太郎さんから政権を奪った形になりましたね。2人ともそれぞれ鳩山一郎の孫、吉田茂の孫。
娘が福岡の飯塚でフィギュアスケートをやっていたので、それぐらいは知っています。
Bye Now