スポーツライター梅田香子とMMカンパニー&CHICAGO DEFENDER JAPAN

梅田香子 contribute to MM JOURNAL

ぼこぼこ場外乱闘編

スポーツライター梅田香子の日常を日本語でメモ代わりに綴ったものです。

NHK「いだてん」と犬養毅

 「いだてん〜東京オリムピック噺〜」、すごく面白いと思います。だいたいオンデマンドで見ていますから、人より話題が遅いのです。
 
 犬養毅首相について、違う視点から少し書いておきます。


 岡山出身の犬養は慶應義塾で福沢諭吉に師事、まだ在学中から郵便報知新聞の記者として、西南戦争に従軍しました。
 後に代議士に転身。犬養は鳩山一郎とコンビを組み、政友会総裁として浜口雄幸内閣と戦っていました。

 漢文おたくで、ヒマができると読書。さほどオリンピックに関心があったとは思えません。おそらくフィクションでしょう。

  犬養家は長野県諏訪郡富士見町富士見ヶ丘「白林荘」という別荘をもっています。とてもスケートが盛んな土地です。
 けれども、息子の犬養健の妻、仲子夫人がピアノが好きで、とても心配性でした。

 なので、子供たちにスケートはやらせません。水泳やボートは木戸幸一のクラブに入れて、習わせたりはしていました。

 オリンピックに興味をもつ総理大臣は、226事件の後の広田弘毅あたりからです。広田はアムステルダム五輪のときちょうどオランダ大使でした。国連脱退で日本が世界から取り残されてしまうのを怖れ、外務省の親米英グループが東京五輪招聘に動きます。

 来栖三郎もその一人で、IOC委員長ラトゥール伯爵と通訳ぬきで交渉を重ねます。

 田畑政治は新聞記者でした。

 田中義一内閣の書記官長、テニスやゴルフが好きな鳩山一郎にはアムステルダム五輪の派遣費用について相談しています。鳩山は高橋是清にまわし、

「自分はオリンピックのことなど知らぬが、それは御国のため役にたつことなのか?」(高橋是清)
「若者の励みになるから、大いに役に立ちます」(田畑政治)

 これで派遣費用の一部がでました。


 さて、犬養の趣味は菊やバラつくり。読書家で中国の民を愛し、蒋介石や張学良を自宅に滞在させたり、かくまったりします。 

「シナのものはシナへかえせ」

 といって、満州国を認めようとはしません。

 日本と戦争になりますが、蒋介石は日本での留学経験があり、知己が多かった。「坂の上の雲」の秋山真之の息子も自宅に蒋介石が来たときのことを覚えているそうです。

 犬養毅の妻は早世し、後妻がきます。

 犬養の長男はこの後妻とそりがあわず、廃嫡されて四国へ。
 後妻は花柳界の人間で江戸っ子でした。料理はほとんどしません。
 犬養毅は77才になっても、バターやミルクを使った洋食を好みました。(この点だけ私の祖父に似ています)

 妻は「牛の匂いがする」と言って家にバターをおくのも嫌がった。

 なので、首相官邸ではもっぱら「エイワン」というレストランからグラタンやシチューを出前してもらっていました。「エイワン」というのはゾルゲもひいきにしていた店です。場所は文芸春秋のビルが昔、建っていたところ。

 

 来栖三郎と犬養の接点は漢口でした。辛亥革命のときです。

 革命を支持する犬養は頭山満や玄洋社や近衛篤麿(文麿の父)と乗りこんできて、歓迎会を催します。そこで犬養は政府を批判をし、まだ若くて、気が短かった来栖は一矢酬いんとし、総領事から制止されたりしています。

 その後、来栖がホノルル、ニューヨーク、シカゴへと赴任。家族もちになって日本に帰ってきたとき、すでに近衛篤麿は早世。12歳の長男、文麿が後を継いでいます。
 来栖が麹町に家を建てたため、近衛とは隣人になり、死の直前まで吉田茂と友に家族ぐるみで交流します。

 後見人として近衛家には一時期、頭山満が住んでいて、他にも数えきれないほど使用人がいました。

   場所は首相官邸のすぐ裏。2.26事件のときも兵隊たちががちゃがちゃサーベルの音をさせて入ってきたので、朝食のおにぎりを用意して食べさせました。

 近衛は皇道派だったので、青年将校たちの減刑に動きます。が、報われません。

 そんなかんや何かとわずらわしく、近衛は荻窪の荻外荘を好むようになります。

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 5.15事件の日、首相官邸で耳鼻科に診察してもらったのは史実どおり。でも、五輪の歌のイベントというのはフィクションだと思います。
 というのも、運命のあの日、チャンプリンが首相官邸を訪問する予定となっていたのは、有名な話です。

 気がかわりやすいチャプリンは当日になって、「相撲に行きたい」と言い出し、どたきゃん。相撲には犬養首相の跡取り息子の健(たける)が同伴しました。この犬養健は尾崎秀実の親友です。

 青年将校たちは裁判で、「チャプリンを殺して、アメリカと戦争にもちこむ計画もあった」と証言しています。

 このときは世論も青年将校たちの味方をして、刑は軽いものになりました。

 犬養を撃った人物は長生きしています。

 さて、健の娘、つまり犬養毅の孫が犬養道子さんです、彼女の本はどれもとても面白く、国際感覚にあふれています。

 とくに「お嬢さん放浪記」は海外留学を考えている人にとってはバイブルみたいなもの。今も古さを感じません。Bye Now!