MM編集部とその周辺。
こちらはMMジャーナルの番外編。スポーツライター梅田香子のブログです。スポーツ以外のこと、バイリンガル子育てや自閉っ子との生活や旅行の日々を綴っています 。

フォードの怒りは米国の怒り~岸信介の登場~

f:id:mmcompany:20190725010138j:plain

 1990年だったはず。阪神タイガースからデトロイト・タイガースに返り咲いたセシル・フィルダーが最多ホームラン記録を更新中でした。

 Born in U,S,A, Made in Japanなんて文字が「デトロイトニュース」の見出しを飾っていました。

 シカゴからデトロイトはそう遠くありません。旧タイガースタジアムには何度となく足を運びました。監督はあのスパーキー・アンダーソン。

 市内のホテルからタイガースタジアムはほんの300メートルぐらいの距離。

 道ばたにはホームレスなんだかよくわかりませんが、数えきれないほどの人がぼろぼろの服装で座り込んでいます。ホテルのフロントマンに「危ないから一人歩きしないように」と何度も注意されました。

 後年、ガリクソンはここであっと驚く20勝投手になり、野茂英雄や木田優夫のときも取材に行きました。

 そんなかんや感じたことはデトロイトはやはり車産業の町。シカゴとは雰囲気がだいぶ違います。

 2000年代はともかく、1990年代はまだまだ日本に対しての恨みつらみは根が深かったようです。
 
 デトロイトにはフォードだけではなく、GMやクライスラーもありました。

 フォードの創立者ヘンリー・フォードはアメリカの歴史において、ワシントン大統領と同じぐらい尊敬されている人物です。
 発明王エジソンと組んで、フォードを創立したのは40歳のとき。1903年。

f:id:mmcompany:20190725010303j:plain

 彼の企業理念は次のようなもので、伝記には必ずでてきます。今もアメリカは基本がこれ。日本企業とまるで逆ですから、摩擦が起きるわけです。

1、事業は利益よりも奉仕を目的とするべき。
2、農民の苦労を減らすため、丈夫な実用品を安く提供するべき。
3、そのため労働者の賃金を高くし、労働時間は短くする。

 フォード社では週休2日、1日8時間労働、最低賃金1日5ドル。これは当時の工場労働者の2倍以上の日当でした。
 ベルトコンベアーでの流れ作業はきつかった。けれども、高給と休暇に恵まれたフォードの労働者たちは、社員割引と月賦で自社の車を購入します。

 それが他の労働者にも刺激を与え、本格的な自動車産業としてアメリカ全体が発展していきます。
 
 アメリカは1789年に独立。Civil War(南北戦争)が終わったのは、1865年。まだ若い国で、主要な産業は綿花や毛皮など、農業国でした。

 フォードはまずカナダへ進出。1911年にはイギリスや中南米やオーストラリアにも拠点をおきます。
 ドイツや日本にも進出して、組み立て工場を建てます。

 ヒトラーはもっとも尊敬するアメリカ人として、フォードの名前をあげています。

 日本が太平洋戦争をはじめたのは、アメリカが石油の輸出をストップしたせいとされています。それは事実です。

 なぜアメリカが石油や鉄の輸出をとめたのか。フォードをはじめ他の自動車産業を日本からしめだしたのが原因でした。コーデル・ハル国務長官は激怒します。

 日本人は忘れてしまっても、デトロイトの人たちは実にそのことをよく覚えていました。

f:id:mmcompany:20190725010745j:plain
 陸軍と組んだのは商工省で、現在の通産省の前身になります。(どうでもいいけど、私も妹も学生のとき通産省でバイトしていました。)

 商工省の若い官僚は岸信介。岸と陸軍のやり方に怒り、「べらんめえ」調で反発したのが、外務省の通商局長、来栖三郎だったのです。おだやかな外観とは裏腹に、来栖さんは熱血漢で、新聞記者たちが「威勢のいい局長だな」とあきれるほど、よく怒ったそうです。(誰かさんに似ていますね)

f:id:mmcompany:20190725010728j:plain

 

 また長くなってしまいそうなので、いったんBye now。
 参考文献はこれです。NHKの「ドキュメント昭和」で放送したものをまとめた本です。