ゴミハウスのつづきです。
友人はせっかく東京で新築マンション買ったのに、隣の部屋がベランダをゴミ袋の山にしているそうで、がっかり。(のだめカンダービレ?)
晴れた日は富士山も見えるのに。隣のゴミはどんな天気でも目に入ります。
私の中では史上最強のゴミハウス、かつての夫の家も、ベランダがゴミで埋まっていました。主に古いテレホンショッピングです。
もう昔のことなので、夫は忘れているらしく、
「おばあちゃんは昔は家事をやっていたのに、ヨーコが来てすっかりなまけものになってしまった」
なんて言うので、びっくり。私も年とって忘れないよう、書きとめておきます。
この家に私が来たとき、掃除機は5つか6つあり、ダスキンとも契約していました。でも、ダスキンは一度も使われたことがありません。
アメリカ生活が長い私はダスキンが何かわからず、月一度とりにくる方に説明してもらい、わかってからは解約しました。
シカゴの家ではダイソンと掃除機ロボットを使っています。あれはあれで気にいっているのですが、マキタはともかく軽い!簡単にひょいとバキュームできるところ、すごく助かっています。
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この家にもともとあった掃除機たち。かたっぱしから試したら、どれも動きませんでした。中のゴミ袋がいっぱいになると、姑がこわれたと判断して、通販で買っていたから、もっとたくさんあったそうです。でも、使わないと動かなくなる。
サラリーマン家庭で育った私とは違い、工務店は当時すごくはぶりがよかったみたい。子供たちは「うちのお父さんはお金持ちだ」と思って育ったそうです。
たしかに成人しても、ほしいものはなんでも買ってもらっています。
2階の3部屋には子供たち4人分の服やおもちゃや漫画、それとありとあらゆる教育教材セット。赤ちゃんの肌着が引きだしにたたまれていたので、きちんとした生活していた印象を受けました。(前の奥さんはハウスマヌカンだったそうです)
夫もベビー服は捨ててくれるな、孫が生まれたら使えるから、と言いました。(後年、孫ができたら着なかったので捨てました。引きだしはゴキブリの巣だったので、私もすすめる気にはなれません、ただ寂しがり屋の人なので、帰ってきてほしくて、片付ける気になれなかったのだと思います)
私はこの家に通い婚していた頃、姑は皿洗いといってもティッシュでふくだけ。
食事はお椀に永谷園の袋をいれ、スーパーの惣菜を並べます。
洗濯は洗濯機。洗ったものを干すことはなく、自然乾燥。夫は作業着だけ適当に選んで着ていく。普段着は近所のクリーニング屋まかせ。。
まず家にゴミ箱なかった。床にスーパーの袋をおいて、ほおりこんでいく。なので、私が買いました。そのうち庭で雨ざらしになっているゴミ箱を見つけ、それも洗って使いました。ほーきとちりとりも私が買いました。これ、最強。
私が普通に食器を洗うと、夫は目をみはり、当初は「こんな家庭的な女にあったことがない」と感動していました。(はあ?)
夫は私とであったことで、人生をたて直すつもりだったようです。
とりあえず寝るスペースもなかったので、トラックにゴミをのせ、仕事の合間をぬって、何十往復もして廃棄物を処理しました。
その間、私は手作業。たちまち小さな50袋ぐらいのゴミが山積み。近所の人たちが「ようやく過去と断ち切る決意ができましたか。あはは」なんてからかうので、夫はだまりこくったまま作業をつづけました。
姑の部屋はそのままにして、主に隣の部屋を片付けたら、床の間がでてきました。ほこりだらけのお仏壇とお位牌も発掘。新品の食器も箱にはいったまま、たくさん。
貯めこんだ人糞や生ごみを片付けてしまうと、フロアは意外ときれいでした。床いっぱい10年分の新聞紙が広がっていたせいかも。
ただいちばん底に誰にもらったのか、梅干しの大びんがあり、それが割れてしみをつくり、ひからびていたぐらい。
障子は茶色の臭いしみがいくつもあり、夫はそんなかんや一緒に仕事する業者たちに見せたくなかったようです。
姑は夫がものを捨てている間は何もいいません。人形とか捨ててほしくないものを抱きしめ、きっとした顔つきでいます。夫が仕事に出かけてから、姑は私にたいして「元にもどせ」と怒ります。
私はそういうとき、じーと姑を見て、何も言いかえしません。
そのまま無視です。3日ぐらいは、「スーパーで〇〇買ってきて」と言われても、口をききません。
無視していました。そろそろ近くのスーパーまで歩くのもしんどくなってきていたので、私がいなくなることを怖れたようです。無料の女中みたいなものですね。
そのうち自閉症の次女にも八つ当たり。「あんた、なんで、そんなわけがわからんことばかり、話しているの!」「頭がおかしいんやろ!」「うるさいわ?なんとかせい!」(姑が24時間つけているテレビの音のほうが大きい)これは夫に私が涙ながらに抗議。珍しく夫が姑を叱ってくれました。
「今まであの子がどんな思いをして生きてきたと思っているんだ。そういう態度ならオレはヨーコたちと出ていく!」
このとき夫が私の味方をしてくれなかったら、まずその場で娘をつれて出て行ったと思います。姑は叱られたことがなかったらしく、鳩が豆をくらったような顔で、あっけにとられていました。
姑は早くに離婚しているし、年金もありません。
次女は怖がって食事とフロ以外は1階には来なくなり、姑はもともと自室でテレビを見ているだけで趣味もなんもなし。家が広いとこういうとき助かります。
がしかし、一戸建てはごみをためてしまうと片付けも大変です。
うちは工務店なので1.2トンのトラックがありましたが、普通の家庭だったら、20往復もさせたら数十万円かかると思います。廃棄物処理代も安くはありません。
東京から私の母が来たとき、姑の部屋を見て、
「火事になったらマリアはきっと二階で焼け死んでしまう。これだけはなんとかしてほしい」
と珍しく注文をつけました。
たしかにタンスの前にもうひとつタンスをおいたり、鏡台やら通販の家具に囲まれて、狭くなった部屋の真ん中で1日中テレビをみています。
なので、私が福岡からもってきたエアコンがあまっていたので、そこにつけました。
私は姑の部屋に入ったのは、それが最初。匂いがすごかったのでマスクしていました。床は新聞紙やティッシュがふわふわして、くらくらしました。
ときどき玄関の前にでて、外の景色を楽しむので、姑の好きな花は植えることにしていました。
もうゴミハウスには暮らしたくありません。まだ若かったから体力もあったけど、年とってしまったら、片付けも大変。この記事を書いていても、あのときの匂いがよみがってきて、食欲がなくなります。
写真もとってはあるんですけど、貼る気になれませんから。関係のない写真ばかりです。
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