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梅田香子 ぼこぼこ場外乱闘編

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こちらはMMジャーナルの番外編。スポーツライター梅田香子のブログです。スポーツ以外のこと、バイリンガル子育てや自閉っ子との生活や旅行の日々を綴っています 。

愛情はふる星のごとく

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 再婚して5年ぐらいたつと、姑が一度もお風呂に入らないことに気がつきました。洗濯ものもでません。私も夫もかなり悩み、実家の母に電話で相談したところ、
 「あ~ら、私だって空襲で家を焼かれた後、1年ぐらいは入らなかったんじゃないかな」
 同じ悩みを抱えている方、市役所の福祉課に相談することをおすすめします。
 姑は健康なほうで、かなり頑固な方でした。介護の方はとても上手にいいくるめ、靴下をぬがせたところ、爪は長くのびてぐるんぐるん。エイリアンの足みたいだったので、皮膚病を心配しましたが、これは皮膚科に連れて行ったら、足を30分ぐらい洗って下さり、元どおり。
 すったもんだのあげく、姑は週2度デーケアで入浴させてもらうことになりました。
 
 あ、そんな話ではなかった。
 
 私の母が戦後どうにか生活がおちつき、はじめてベストセラー本を読んだのが、「愛情はふる星のごとく」だったそうです。
 これは元朝日新聞で、ゾルゲ事件にかかわった尾崎秀実が巣鴨刑務所で妻と娘の楊子につづったものです。
 
 尾崎は近衛文麿内閣のブレーンで、政治評論家として名前がでない日はなく、かなりブルジョアな生活をしていました。なので行きつけだったレストランの話題も多く、昭和の世相がリアルに伝わってきます。
 
 それに何度か書きましたが、尾崎は大阪朝日のとき屋上のABCスケートリンクで稲田悦子をはじめて取材した記者でもあります。
 
 犬養毅首相の息子、犬養健とはかなり親しく、犬養道子さんの本にもでてきます。 

愛情はふる星のごとく―獄中通信 (1949年)

愛情はふる星のごとく―獄中通信 (1949年)

 

  もともと尾崎秀実は岐阜の生まれで、父親は報知新聞の記者でした。台湾で日本語の新聞をだすことになり、かなり豊かな生活をしていたそうです。
 台湾は日本の植民地でした。
 父親が現地の台湾人をさげすんで、怒鳴ったりするところが嫌だったそうです。
 
 決定的だったのは関東大震災のときの虐殺を目の当たりにした体験です。このとき尾崎は帝大の学生で、兄夫婦の家に下宿していました。旧知の品川病院で刀傷の病人の血を洗うなど手伝います。

 

 共産主義こそが世界を救う、という信念はこのとき芽生えたそうです。
 
 下宿していた兄夫婦はいとこ同士の結婚で、妻の英子はかなり文学少女でした。幼い頃から知っているので、尾崎兄弟の母親も英子を理解しています。英子は帝大を卒業した尾崎と恋仲になり、離婚して再婚するときも、最初こそ反対でしたが、途中からは協力的になり、兄のほうには新しい嫁を世話します。
 
 評論家の尾崎秀樹は秀美より27歳年下なので、一緒に暮らしたことはないわけです。父親の愛人の隠し子だったわけで、後に父親は秀樹の母親と再婚します。
 
 この尾崎秀樹が松本清張に虚偽の情報を提供したことは、こちらの本に詳しく、まさしく昭和の闇といえる事件でした。

 

父・伊藤律 ある家族の「戦後」

父・伊藤律 ある家族の「戦後」

 

 

偽りの烙印―伊藤律・スパイ説の崩壊

偽りの烙印―伊藤律・スパイ説の崩壊

 

 
 とまあ、話はそれまくりましたが、この「愛情はふる星のごとく」は文章が精緻で、表現も悲しいほど美しい。
 
 尾崎は正岡子規が好きだったそうで、「伊予の国は一度は行ってみたかった」と書いています。考えてみると子規も秋山真之と一高の前身に通っていたのだから、尾崎にとっては先輩にあたるわけです。「坂の上の雲」もこの学生のときの話が私も好きです。
 もう著作権も切れていますから、2ページだけ引用しておきます。
 
 Bye Now
 

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