ラストエンペラーという映画を見たくなりました。たしか坂本龍一が甘粕正彦。
通訳でコーディネイターだったAKIさんが、日本人医師としてチョイ役で出演。溥儀の妻の不義の子(ダジャレを言っている場合ではありませんが)を焼き殺してしまうシーンがあったような記憶があります。
もう何十年も見ていないので、たしかめなくては。
甘粕は大杉栄事件の主犯とされ、3年ほど千葉の刑務所で服役しました。
その後は陸軍の官費で、ヨーロッパでアムステルダム五輪を観覧したり、ギャンブルで借金をつくったり、優雅に暮らします。
東条英機からの信頼が厚く、満州事変に関わりました。李香蘭の映画を通じて、この時期、稲田悦子も甘粕正彦に会っています。側近には赤川次郎の父親がいたそうです。
ちょっとwikiを読んだら、正力松太郎のくだりが事実と違っていました。
”以前より陸軍が何かやるらしいと聞いていたが沈黙していた警視庁官房主事の正力松太郎(後述)は、子供が関わっていたことを憂慮して、警視総監湯淺倉平に相談。湯淺総監は新任の後藤新平[13]内相[14]に報告するが、後藤に自分では対処できないとして総理に報告するように言われて、湯淺総監は直接、総理大臣山本権兵衛に会って報告した。山本首相が閣議で田中義一陸相に聞くと「知らん」と言い、戒厳司令官福田雅太郎を呼んで問いただしてみても関知していなかったので、憲兵隊の捜査が開始された[12]。するとすぐに内部の犯行が明らかになった。”(wikiより引用)
これは違うでしょう。大杉の末妹あやめは息子の橘宗一(6歳)も一緒に行方不明になったので、何度も警察に訴えます。なのに、警察はまったく聞き入れようとしませんでした。
宗一の両親は日本人です。あやめの夫は貿易商で、愛知県海部郡大治町に住んでいました。たまたま米国のポートランドに滞在しているとき、長男の宗一は生まれました。なので、今で言う二重国籍です。
そこでアメリカ大使館に駆け込み、アメリカ国籍の息子が行方不明になったことを訴えます。そこでアメリカ大使館のほうから、外務省に行き、総理大臣の山本権兵衛はびっくりして、すぐに陸軍大臣の田中義一のところへ話がいくのです。
まだまだ不平等条約の下にある時代、陸軍がアメリカ人の子供を殺害したとすれば、これはもう国家問題です。(国籍がどこであろうと、殺された事実は変わらないと思うのですが)
つまり、wikiにあるように、憲兵隊が自主的に捜査を開始したわけありません。するわけない。
総理大臣をとおしてアメリカ大使館の圧力がかかったためです。
6歳の少年が自分で裸になって古井戸に飛び込むわけがないので、大杉栄・野枝夫妻の殺害も明るみになってしまいました。
東京朝日新聞のの石井光次郎営業局長の著作によると、関東大震災当時、
「正力君のところへ行って、情勢を聞いてこい。それと同時に、あそこには食い物と飲み物が集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい」
と言ったところ、間もなく食糧をかかえて戻ってきた部下は、こう口にしました。正力から、
「朝鮮人が謀反を起こしているという噂があるから、各自、気をつけろ。君たち記者が回るときにも、あっちこっちで触れ回ってくれ」
戒厳司令部参謀だった森五六の回想でも、正力は「こうなったらやりましょう」とはりきっていたそうです。
当時の参謀本部総務部長で後に首相になる阿部信行(ひ孫がフィギュアスケーターで、私と同じ幼稚園でしたw)をして、「正力は気が違ったのではないか」と言わしめました。
後に正力が新聞社の飲み会で、「あの子供がアメリカ国籍じゃなかったら、大杉事件が明るみになることはなかった」と語ったのは、そういう背景があったからです。
この田中義一が突然、来栖三郎家を訪れ、アリス夫人にプレゼントを持ってきたのは、ずっと後のことです。正力から話がそれすぎますので、また違う機会に。
来栖三郎についてはこちらで少し触れました。
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