スポーツライター梅田香子とMMカンパニー&CHICAGO DEFENDER JAPAN

梅田香子 contribute to MM JOURNAL

ぼこぼこ場外乱闘編

スポーツライター梅田香子の日常を日本語でメモ代わりに綴ったものです。

尾崎秀実伝~第3章 第一高等学校~

 台湾で育った尾崎秀実は猛勉強をします。

 日本にきて、第一高等学校で教育を受けます。

 一人の力ではなく、家族や一族、後藤新平のような有力者も応援します。

 広田弘毅にしてもそうですが、戦前は勉強ができる子がいると養子に行ったり、資金を援助してもらったり、援助する人がたくさんいたようです。

 あるいは「坂の上の雲」の秋山兄弟のように、軍事教育を受けるものもいました。

 今の受験戦争とは全然ちがいます。勉強すること自体が流行の先端をいっていて、新しい知識を貪欲に求める若者が多かったようです。

 さて、あたりまえですが、第一高校というのは、福岡第一高校(私のアメリカン長女が留学したところ)とはまったく違います。

 現在の東京大学教養学部および、千葉大学医学部、同薬学部の前身にあたります。

 

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 受験科目がとてもシンプルです。尾崎は数学がやや苦手だったようです。落ち込んだかと思うと、すぐにまた立ち直る。電報が届いたときの喜びがビィビィッドに伝わってきます。

f:id:mmcompany:20191221165255j:plain 一高の特徴としては、全員寄宿舎制度、学生による自治制度があげられます。

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 尾崎は英語が好きで、いろいろな原書を読んでいました。それから台湾育ちの尾崎には東京の寒さはこたえたようです。その反面、はじめて雪をみて大はしゃぎするなど、感激屋でした。

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 ドイツ文学もこの頃は大はやりだったようです。後の外務大臣、尾崎より9歳年長の東郷茂徳も帝大のときゲーテにはかなりはまり、ドイツ人女性と結婚して東郷エディ子という日本国籍をとらせます。エディはドイツ大使と親しかったので、ゾルゲとも近しかった。ただし、尾崎はあまり外務省では評判よくなかったようです。

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 城山三郎の「落日燃ゆ」を読むと外務大臣から総理大臣になった広田弘毅が、近衛文麿に外交の相談をすると、それがロシア大使館に筒抜けになってしまう。若いブレーンたちがあやしい、と。f:id:mmcompany:20191221165344j:plain

 近衛文麿のブレーンといえば、「朝飯会」のメンバーたちのことでしょう。後年、下のページにでてくる牛場友彦が、尾崎秀実を熱心に誘います。犬養首相の息子の犬養健、西園寺公共も「朝飯会」のメンバーでした。ゾルゲ事件が発覚すると、尾崎、犬養、西園寺が逮捕されています。

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 尾崎の保証人になってくれた品川の病院長は、父親の友だちで第一章にでてきます。秀実は関東大震災のとき、この品川病院で血みどろになってボランティア活動します。 

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ゲーテはやっぱり人気があったようです。

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 冷房がなかったこの時代、一高生たちはツテを頼り、涼しい軽井沢で夏は勉強することが流行していました。

 犬養毅首相の別荘もよく使われていたそうです。

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