元朝日新聞の記者、ゾルゲ事件で処刑された尾崎秀実伝のつづきです。
東大だけではなく、東京外語大の夜学の専修科も受験したそうです。フランス語を勉強したかったとか。受験の後も勉強はつづけたのでフランス語の読み書きはできるようになります。
ロシア語も独学で学んだけど、実用にはならなかったそうです。
中国語は3人の先生につき、上海語は苦労せず、ものになったけれど、北京語はむずかしかったそうです。
エスペラント、マレー語とずいぶんいろいろ勉強したようです。
若かりし日の尾崎は最高の官僚をめざす、と宣言しています。将来の嫁はそれを考慮した上で選ぶ、とも。帝大生特有の、人を人とも思わぬ選良意識をさらけだし、はばかりませんでした。そんな尾崎の思想を一新させたのが、関東大震災です。
兄夫婦の家で関東大震災にあい、朝鮮人虐殺事件や社会主義者惨殺事件を目の当たりにします。死刑判決を受けた後も、その体験が自分の人生を変えたことを赤裸々に綴っています。
震災のときボランティアで手伝った品川病院。同じ病院で、弟の秀束が病死します。
次の章で尾崎は大恋愛をします。同時に高等文官試験に挑みます。<To be continued>