少し矛先を変えて、宮崎勤事件について書いておきたいと思います。
宮崎家に友だちと一緒に行ったことがあります。
私の実家は五日市街道にかなり近いのです。
小さな山をこえて、ちょうどトトロみたいな感じ。カントリーな景色に囲まれていました。だいたい私は東京といっても郊外なので、あの映画に近い雰囲気の中で育ちました。
そのとき女友だち2人(仮に空子と海子としておきましょう)私の車に乗っていました。ホンダのトウディ、はっきり覚えています。たぶん免許とりたて。
信じられないことに、なんとその宮崎家の前で、海子の元不倫相手とばったり出くわしてしまったのです。
もともとはウィンドサーフィン仲間で、奥さんにばれて、60万円の慰謝料を払うはめになり、夫婦は赤ちゃんを抱っこしていました・・・
この話はまったく事件と関係ないので、このへんにしておきます。
現在は建物はなく、更地になっていると聞いています。市の名前も変わりました。
当時は母屋があり、離れが宮崎勤の部屋になっていて、敷地内に工場があり、父親は東京新聞にはさむチラシを印刷する仕事をしていました。
本人に会ったことはありません。ただ共通の知り合いが何人かいました。
ときどきこの家のことが話題になったのは、アニメ好きの別な友人(仮名・ピー太)がすごくウルトラセブンの幻の12話を見たがっていたからです。
私も少し興味がありました。ウルトラセブンの幻の12話、スペル星人については今はネット上にあがっているので、ぐぐってみてください。
当時は今みたいにネットで簡単に見れる時代ではありません。
ダビングを繰り返したビデオを宮崎勤がもっているという噂でした。定職にはついていないけれど、親にいい車を買ってもらっているとか、そんな話でした。
まだひきこもりという言葉が一般的ではなく、昼間に男がぶらぶらしていると近所から白い目で見られた時代。ピー太の家も家賃収入があり、働く必要がなく、「プー太郎」というあだ名でした。が、つまらなくて市役所に就職したりしたので、「ピー太」という呼び名に変更されたばかり。
事件が明らかになって、驚きはしました。
一方、ずっと後までピー太は「あのビデオは警察に押収されたのだろうなぁ」と気にしていました。
ピー太の家も親が市会議員で、敷地内に離れがあり、そこで選挙のときは炊き出しをしたりしていたのです。
ピー太の親は宮崎勤の親とはかなり親しく、だいぶ時間がたってから、「励ます会」を呼びかけ、飲み会をしたそうです。
数日後、宮崎勤の父親は飛び込み自殺をしてしまいます。責任感の強い人だったそうです。
当時も今も宮崎勤(死刑)のことを自閉症だの、アスペルガーだの決めつけている人がいたようです。会ったこともないでしょうに。
異常な犯罪が起きるたびに、「自閉症」という言葉が安易にひっぱりだされます。
本人も親もどれだけそれに傷ついてきたか、体験したものしかわからないと思います。
宮崎勤は都心の私立高校にバスと電車を乗り継ぎ、通っていました。
卒業後は写真の専門学校に進んだとか。自閉症とか知的障害なんて地元では聞いたことがありませんでした。
私はまだ独身で、東京新聞系列、東京中日スポーツの仕事をはじめていました。
なので、書かれていない話もいろいろ聞いています。
東京新聞の記者はもともと宮崎勤の父親の知り合いだったため、単独スクープや単独インタビューにも成功し、ライバル社の嫉妬をかったようです。
こんな事件もあったので、参考までに貼っておきます。
読売新聞の宮崎勤事件に関する捏造事件