MM編集部とその周辺。
スポーツライター梅田香子の日常を日本語でメモ代わりに綴ったものです。

「伊藤野枝と代準介」を読んで→福岡県今宿の思い出

 

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 福岡の今宿。自閉症の子たちも含め、たくさんの子どもたちに絵を教えている楽しい先生がいらっしゃいました。
 なので週1回、糸島半島での療育の帰り、そこに次女を通わせていた時期もあります。私の父や母もとても先生とは気があっていたようです。(写真は今宿ではなく、香椎浜の海岸です)

 

 近くに美しい海岸が広がり、今津湾の向こうには能古島が見えました。
 別な本を読むと、長谷川町子さん一家も戦争中は今宿に住んでいたそうです。

 この海岸で登場人物の名前を考えたから、サザエ、ワカメ、カツオと海にちなんだ名前ばかり。

 この洋子さんの夫が読売新聞の記者で、マスオさんのモデルと言われています。

 伊藤野枝はもう少し早い世代、この今宿で育ちます。

 家庭をもってからも出産のたびに、叔父の家にいそうろうしたり、子供たちを預けたりしていました。

 虐殺された後、葬式も今宿でひっそり行われ、この近くにお墓もあります。

 野枝は自作や小説じたてで、この代準介のことを吝嗇で狡猾な叔父だと書いています。
 でも、フツーに考えて、狡猾な人物が自分の娘でもないのに、こんなに面倒みて、遺児たちを育てるのかな? 前から疑問に感じていました。

 

 この「伊藤野枝と代準介」という本の筆者は代準介のひ孫にあたる女性と結婚しています。妻の話だと、母はとてもくやしがっていた、と。
 妻の母、つまり筆者の妻の祖母の千代子は、野枝の最初の夫、辻閏と肉体関係を結ぶシーンが柴門ふみの漫画でも芝居でも描かれています。
 
 でも、それは千代子ではなかった。

 代準介の書物が遺されていて、野枝は千代子に今宿で子供たちの面倒をみてもらい、辻潤と浮気したのは別な女性でした。

 小説は根も葉もあるウソである。というのは森瑶子さんの名言。

 この「伊藤野枝と代準介」は小説ではなく、ノンフィクションです。野枝や大杉栄の違った一面、当時の社会風潮が描かれ、秘蔵の写真もたくさんのっていました。

 何度読んでも、大杉栄事件で惨殺された6歳の橘宗一のくだりは、悲しみと怒りがこみあげてきます。

 関東大震災が大正2年9月1日。

 9月16日、大杉栄と野枝は横浜の鶴見に避難している大杉の弟一家を訪問します。
 折も折、大杉の末の妹、あやめが病気で静岡病院に療養中。あやめの夫は橘三郎といい、オレゴン州のポートランドでレストランを営んでいました。


 宗一は大正6年にポートランドで生まれたので、米国市民権をもっていたのです。
 

  野枝の家には代準介から米や食料が送られてくる手はずになっていたので、2人は宗一を連れて帰ります。大杉栄は子供好きで、遊ぶのもうまかった。

 大杉、野枝、宗一の3人は帰りに果物を買っているところが目撃されています。
 その後の話は前に書きました。

 

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 大杉の弟は淀橋署に届けをだします。が、「震災でどれだけの人間が行方不明になったと思うのか?」と日本の警察には相手にされません。

 そこで宗一がアメリカ国籍をもっていため、アメリカ大使館に飛び込みます。そこが外務省を通じて、内閣総理大臣を動かすのです。

 日本て外圧に弱いのは、ペリー来航のときからの伝統かも。

 9月20日は大阪朝日新聞が、「大杉栄、伊藤野枝、遺児の3名、憲兵隊麹町分署にて殺害される」という号外をだします。

 甘粕事件については、やはり佐野眞一さんの著作がわかりやすい。甘粕正彦が中心ですが、宗一少年に手をかけた人物の名前やその後の人生にもふれています。

 検死によると大人2人は肋骨はほとんど折れていて、しばられたまま殴る蹴るの暴行をうけたのです。宗一少年は絞殺。3人は裸にされ、古井戸にほおりこまれ、馬糞やむしろをかけられていました。今は皇居のほとり、立派なホテルが建っているところです。

 
 何冊か読み合わせると面白いことに、茂木久平みたいに甘粕に心酔していながら、甘粕が出所するとさっそく取り入って、満鉄東京支店長になったりした人物もでてきます。

 ロシア革命の直後、ソ連に渡ってレーニンにあい「日本で革命をおこすためレーニンから5万円をひきだした」というのが自慢話だったそうです。

 ホントかな?

 ばいなう。

 

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