スポーツライター梅田香子とMMカンパニー&CHICAGO DEFENDER JAPAN

梅田香子 contribute to MM JOURNAL

ぼこぼこ場外乱闘編

スポーツライター梅田香子の日常を日本語でメモ代わりに綴ったものです。

新監督・吉井理人 with ギターマガジン 2006年4月号


・野球は田んぼのまわりで、小学校3年生ぐらいから。中学では入って1週間でやめて陸上部へ。ギターを弾く時間ができた。

 

・ギターは小学校5年生から。親戚のお兄ちゃんがいつもビートルズを弾いていて、最初に覚えたのは、「プリーズ、プリーズ、プリーズ」(笑)。

 

・中学のとき、はじめてギターを1万円ぐらいで買う。店のおじさんに「イギリス製の弦だよ」とだまされる。(ご存じのとおり、弦は消耗品だ)

 

・アリスや甲斐バンドが好きで、最初に覚えたのは「ジョニーの子守り歌」。コードがG-C-―Gみたいで楽だった。

 

・円盤投げで近畿大会2位になったりしたが、野球に戻った。

 

・陸上でも高校の誘いはきた。「円盤投げをやってても全然女にモテへんしなぁ」。簑島の延長18回で、地元はすごくもりあがっていた。

 

・中3のとき、みかん取りのアルバイトで(愛媛と和歌山はこれがある)、ヤマハのSGタイプを購入。色は黒で10万円!思い切った。←高中正義さんがCMでこれを弾いていた。

 

・みかん畑の倉庫で、バンド練習。文化祭にもでた。

 

・簑島高校は1年生部員が100人ぐらいいたけど、夏休みになる頃には17~18人に減った。むちゃ走らされ、度胸づけで人前で歌わされた。

 

・朝練がなかったから、バンド練習は朝、放課後は野球。尾藤監督はいろいろやらせてくれる人だったので、1級上で4番を打った先輩もギター弾き。

 

・高校のときは同級生とARBやビートルズのコピー・バンド。

 

・プロ入りの契約金は全部親に私だけど、ジョン・レノンのリッケンバッカーはほしかった。でも、1ドル360円だったので、買えなかった。しかたないから、いちばん最初の1万円ギターをもって選手寮に入った。

 

・プロ4年め、年俸が2000万円になったので、リッケンバッカーを買えた。

 

・野村ID野球は全くあわなかったけれど、毎日ミーティングを聞いていると洗脳される。(野村監督のモノマネがうまい)

 

・レスポールがほしかったけど、嫁さんに何か言われそうで買わなかった。

 

・アメリカにはもっていかなかったけど、フロリダでがまんできなくなって、400ドルのガッドギターを買った。←MADE IN  KOREAと印刷されていた。

 

・ボビー・ボニーヤはギターを弾くのはヘタなのに、コレクターなのでばんばん買っていた。

 

・アメリカで買った2本目は、スタインバーガータイプ。中古で150~200ドルぐらい。それとギブソンJ-160E:ジョン・レノン・モデル、それとエリック・クラプトンのブラッキ―も。それから、エピフォンのカジノも・・・(笑)

 

・ロッカーやチーム専用の飛行機では、ヘッドファンアンプでギターの練習。「ティアーズ・イン・ヘブン」や「愛しのレイラ」を弾いたら、喜ばれた。

 

・メッツのボビー・バレンタイン監督は誕生日のとき、マジソン・スクエア・ガーデンのクラプトンのチケットをプレゼントしてくれた。

 

 

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