文壇デビュー(?)とやらを果たし、編集者に新宿のゴールデン街に連れていってもらったのは1987年。
「ここが檀通りといわれてね、檀一雄さんの行きつけの店が多かったんだよ」
22歳の私は檀一雄は映画「火宅の人」でしか知りません。
後年、重度の障害児を育てることになると、ぽつぽつ原作を読むようになります。本はボロボロになってしまいました。
だいたい私は小説を多読するほうではなく、気にいると同じ本ばかり繰り返し読むので、そうなってしまうのです。
ずっと後になって、沢木耕太郎著「壇」を読み、やっぱりボロボロになるまで読んでしまいました。
この「青春放浪」は檀一雄が東京大学時代、前半は太宰治らとの交流、後半は満州で放浪した生活記です。
ノモンハンで日本とソ連が衝突した時代、広い大陸の片隅では檀一雄なる学生が、「天然の旅情」が赴くまま、現地の女性たちと交流していたわけです。母親が満鉄への就職先を世話したのに、「就職したくないが、金はおくってほしい」という言い分。
随所で出てくるのが疫病です。
「大陸にひそんでいるバイ菌の潜伏力である。油断もスキもならぬ」(檀一雄「青春放浪」から引用)
まず天然痘。国務院の会計の場であまりに気分が悪そうな人を見かけ、檀や友人たちは親切心から声をかけたところ、
「天然痘ですが、今日の金をもらわねえではメシメシが食えないから」
といわれ、恐怖心で足腰が震えてしまいます
すぐに医務室にかけこみ、着ているものを全部ぬいで、シャワーと消毒と予防接種。そのまま檀たちも隔離されそうになり、逃げだすのです。
コレラ地帯は歩いただけのようですが、ペストが新京を襲った投書、檀は最初はのんきに酒を飲んでいます。
農安からペスト菌を持ち帰った満人は最初は一人だったが、3人に増え、15人、32人と増えていきます。
一戸あたりネズミをつかまえて供出する命令がでて、檀はネズミ売りから買って供出します。
新京から半里ばかりの東北に三不関という町があり、日ごろから細い泥の溝が多く、泥でできた掘っ建て小屋がほとんどだったそうです。
裸の子供たちやアヒルやブタが遊んでいる光景を檀一雄は好んでいました。が、ここがペストの発信源ということになり、兵隊たちが焼き払うことになって、見物に行きます。
一緒に見学していた彼女は発熱し、家に連れて帰り、看病します。いったん檀も自分の住処に帰り、戻ってくると彼女の家は縄で囲まれています。
ペストで隔離病棟に送り込まれたそうで、檀もそちらに行くと病院は日本人用、彼女は土蔵の方に隔離されていて、会えません。
14日ほどがすぎると、ペストではなかったとわかり、彼女はタンカで運び出されて、帰ってきます。S病院に連れて行ったところ、ペストではなく、破傷風だという診断。
これも大変な病気です。片足を根もとから切断する手術を受けます。
この作品は徴兵された期間のことははぶかれています。にもかかわらず、ともかく女性たちは次々と残酷な死を遂げていきます。檀の目の前で・・・。
最後の一行もまさにそれ。
全般にわたって精緻な文章力と構成はさすがの一言に尽きます。
風景はもちろん、心の揺れ動きの描写が見事なので、読んでいて心が洗われるよう。
かっこつけや臭みや自慢がない。無様な部分を赤裸々に綴っているのに、不思議と読後感がさわやか。
この点が「火宅の人」といい、「りつ子」といい、檀一雄の作品には共通しています。
割った氷に茶色のウィスキーが、じわ~としみていくプロセス。
檀一雄の小説は「酒が心にしみる」という言葉をいつでもどこでもリアルに思い出せてくれます。といっても私は実は下戸。小説を読むことで擬煮体験しているだけの話です。<了>