アメリカ暮らしのほうが長いので、私は「戦争を知らない子供」とはいえないと思います。
湾岸戦争、9.11テロ、イラク戦争のときアメリカ本土にいました。
最近つくづく日本人だろうと、アメリカ人だろうと、人間は”争いごと”、大小の戦争が本質では大好きなのだな、と考えます。
あまりに人間が戦争好きなので、神さまはその衝動を抑え、発散させるために、スポーツや音楽といった文化を与えたのではないでしょうか?
この「告白」という本は北朝鮮に拉致された日本人女性と結婚されたアメリカ人、チャールズ・R・ジェンキンスの手記です。
ノースカロライナ州の出身。もともとアイススケート場に軍人たちが遊びにきていて、それがとてもかっこよく見えたので、志願しだそうです。
このときジェンキンス少年は、まだたったの15歳。本来は17歳から志願なのに戸籍謄本がないアメリカでは、かなり年齢について適当でした。(メジャーリーガーの年齢だってつい最近まで本当にいい加減。日本に行くためにパスポートと作ったら、4歳も年長だったなんてことが何度もありました)
ノースカロライナといえば、マイケル・ジョーダン、父ジェームスが1936年生まれ。ジェンキンスは1940年生まれなので4年違います。それにジェームス・ジョーダンは空軍だったので、接点はおそらくなかったはずです。
なので、ジェンキンスに話をもどします。
州兵になって訓練を受けます。まだ戦場には行きません。
休みの日、スケートリンクに行くと、「おお」と憧れの目で見られ、うれしかったようです。
1958年の半ば、ジェンキンスは州兵として3年の任期を終えました。
楽しかったので、軍人が向いていると思い、今度は陸軍に志願します。18歳。
韓国や横浜や西ドイツににも行かせてもらい、出世していきます。順調です。
ところが、1960年の9月下旬、二度目の韓国派遣で恐ろしい事態に追い込まれてしまうのです。まだ20歳そこそこです。
偵察隊のリーダーとしての危ない任務を命令されます。拒否しているうちに雲行きが怪しくなってきて、ベトナムに派遣される可能性がでてきました。
悩んだあげくに北朝鮮に徒歩で脱走してしまうのです。
当時は北朝鮮をモスクワと同じ共産圏と考えていて、すぐに旧ソ連に引き渡してもらい、アメリカに帰国して軍法会議を受けるプランをもっていました。
「あまりにも無知だった」と書かれています。15歳から軍隊しか知らないジェンキンスさんなのです。当時はまだインターネットも何もありません。
腕にUSアーミーというタットゥーを入れていたのですが、麻酔なしで皮膚をはがされてしまうなど、地獄のような体験を書き綴っています。
はじまりがアイススケート場だった、という点は覚えておこうと思い、ちょっと書いておきます。
読書のおぼえがき。今は幸せに暮らしているそうで、よかったです。
ばいなう。