「週刊文春」に秋篠宮佳子さまのフィギュアスケートのことが載っていました。面白くもなつかしく読みました。
というのも、練習やテストで何度か一緒になりました。
妹の子が佳子さまとは誕生日が近く、私の長女はその子と2か月違い。シカゴで生まれたので母は妹の出産を手伝ってから、飛行機でかけつけたのです。(3年後に同じパターンで、それぞれ長男と次女を出産します)
たまに日本に帰国して、子どもたちを一緒にスケートさせていると、秋篠宮姉妹もときどき滑っていました。神宮、代々木、高田馬場。
いつも黒い車の送迎があり、7人ぐらいのSPたちがリンクの真ん中で輪をつくり、一般客はそこには入れません。
妹はとっぽいところがあり、ワイドショーなんて見ません。
「あの子、いつも来ているけど、こわい。どこかの組長の娘という噂なの」
私は芸能雑誌でも仕事していたので、「違うよ、あれは宮様よ。あんた、戦前なら不敬罪で逮捕されてるわ・・・」
父はそれを聞いて、びっくり。「そうそう、昔なら非国民だな(笑)」
と言いながら、ビデオ撮影したりしていました。
もちろん今はスケート場での撮影自体が禁止されています!
数年たつと、リンクの真ん中ではなく、一般人と一緒に滑るようになり、SPたちは柱の影からそれを見まもっていました。(弟殿下が生まれるまではSPの数も多かった記憶があります)
さらに佳子さまは神宮FSCにも所属されて、コーチの指導も受けるようになったのです。樋口豊先生です。
ただシングルアクセルでつっかえてしまい、すごく悔しそうにされていました。
うちは日本には年に10日ぐらいしかいないので、学校がありません。長女がアクセルは大好き。よくコーチがお手本に飛ばせていました。
宮内庁からいくつかの注意があり、私たち一般人は話しかけてはいけない、話しかけられたら必ず返事をするように。
あるとき佳子さまが「それ、なんですの?」「ポテチよ。食べたことないの?」「ありませんわ」「じゃあ、どうぞ」「まあ、こんなおいしいもの、はじめて食べましたわ!」なんて会話がありました。(2袋なんて食べてませんけど)
もともと美智子妃殿下もお妃教育の一環で、稲田悦子先生の仕事を受けていましたし、天皇家とフィギュアスケートは縁が深いのです。
昭和天皇の弟、秩父宮雍仁親王は陸軍のスケートやスキーの演習を持ち込んだ方です。
イギリスのオクスフォード大学留学中に習得したコンパルソリを青山御所で弟の高松宮殿下や西園寺公望の息子たちに教えました。
226事件で処刑された安藤輝三はこの秩父宮殿下にかわいがられ、スキー道具を一式もらっていたのです。
外交官の娘と結婚されたので、勢津子王妃も帰国子女。来栖三郎一家とは家も近く、長男の来栖良は秩父宮夫妻とアメリカ大使館のグルー大使(良の後見人)映画やジャズを楽しみました。
身体を動かすのが好きで、1日でも公務に追われてしまうと、自宅の天井裏で王妃とローラースケート。これは良も安藤もみんなやらされたそうです。
226事件の最中に流産されてから、お子さまがいらっしゃらなかったので、絶家です。
このへんのことは、ここに書きました。
あの秩父宮邸に結婚されてすぐ入られたのが、秋篠宮家でした。夜中にローラースケートを楽しんだ旧・秩父宮邸は空襲で焼けてしまっています。
この本もおすすめです。
また昭和おたくなことを書いてしまいました。天皇家とスケートについては、まだつづきます。(了)