このつづきです。
週刊文春の秋篠宮佳子さまの記事は、少しだけ首をかしげてしまいました。どうも日本のフィギュアスケートの級を理解できていなかったようです。
スプリングトロフィーに優勝するほどの実力ゆえ、人から妬みをかったという内容ですが、少し違います。
というのも、佳子さまはシングルアクセルの取得に時間がかかってしまったため、なかなか3級が取れませんでした。
日本は10歳までに3級に受からないと、ノービスの全日本予選ブロック大会には出場できないのです。
もちろんブロックだけが試合ではありません。
スプリングトロフィーという試合は、初級クラスから幅広く開催され、たくさんのスケート愛好家に開放されています。
佳子さまは初級の小学校3年生の部に出場されたのが、はじめての試合だったと思います。演技時間は1分+10秒まで。
妹の子がこれに出たとき、私の父がもたもたビデオをかまえたら、「終わってしまった」という逸話があります。
私の長女は一応アメリカからだったので、ノービスBのブロック大会が日本の初試合。演技時間は2分ありました。
話しがそれました。
週刊文春が書いている佳子さまの優勝は2007年、スプリングトロフィーのノービスB女子小学6年以上の部 で優勝(13人中1位)。
12歳なら有望な選手はもう4級か5級か6級をとっています。
ちょうど羽生君世代なのですね。
私の長女もこの年度はノービス全日本で青森に行きました。
羽生くん、宇野昌磨くん、細田あやかちゃん、みんないました。
次女の運動会と重なって大変でしたが、どれもこれも私にとっては大切な思い出です。
きっと秋篠宮家や佳子さまにとっても、そうなのだと思います。
それでも妬む人はどこにでもいます。
なので、週刊文春の記事が間違っているとは思いません。
記事には書かれていたなかったけれど、佳子さまがすばらしかったのは、上達のため私も合宿に行きたい、陸トレも参加したいと直訴したことです。
コーチが「それなら陸トレに参加しますか?」と言ったとき、佳子さまは喜びました。でも、SPや宮内庁が反対して、説得に時間がかかりました。
弟殿下が生まれた頃から、ようやく許されたようです。
フィギュアスケートは見た目は華やかですが、幼い頃から5キロも10キロも走りこんだり、トレーニングは毎日かかせません。
こういう話を聞くと、秩父宮殿下がマッターホルン登山を決意したとき、お付きの武官がもしもの場合は切腹を覚悟したという話を思い出してしまいます。
日本の級テスト、バッジテストについては、ここが紹介しています。専門的すぎるかもしませんが、簡単に箇条書きにしておきますね。
http://www.jfsia.jp/document/2012test.pdf
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初級 ジャンプはとくになし。決められたハーフサークルやバックストロークを練習する必要はあります。
- 1級 スリージャンプ、トゥループ、サルコウが必要です。まだ2回転はいりません。
- 2級 ループ、フリップ、ルッツ。これも2回転はまだいりません。
- 3級 シングルアクセル。大学生からはじめた場合、これが最初の壁になります。3級とっているとインカレに出場できす。
- 4級 2トゥループ、2サルコウ、2ループ。ここから2回転ジャンプが必要です。まず3種類。
- 5級 2フリップ、2ルッツ
- 6級 ダブルアクセル!
- 7級 3回転ジャンプを2種類。
- 8級 これは持っていないスケーターが多いです。7級までで五輪の選考会まで、すべての試合に出場できるからです。中野由加里選手はもっています。
この級テストの内容は国によって違います。
私の長女は日本で7級、アメリカでもシニアやらアイスダンスやら、いろいろ取っていました。
「はい、右足から」なんて審判に言われるので、うちのアメリカンは手の平にマジックで「みぎ」「ひだり」と書いておきました。それでも、緊張してミステイク!なんとか合格しました。
まだデジカメをもっていない時代のビデオからの映像。汚くてごめんなさい。
J-Test Syo-kyuu, pre-preliminary 2003
日本ではノービスAとノービスB、ジュニアとシニアの4段階に別れています。スケート年齢の区切りは7月1日。これは世界で一律です。
- ノービスB 9-10才で、シングル3級以上。
- ノービスA 11-12才で、シングル4級以上
- ジュニア 13ー18才で、シングル6級以上。これは世界ジュニアにあわせたルールで、アメリカは違う国内ルールをもっています。
- シニア 15才以上でシングル7級以上。五輪もシニアの試合になります。なので、14歳以下の選手は残念ながら出場できません。長野五輪でタラ・リピンスキーが金メダルをとった後、こういうルールができました。小学校なんて行っている時間なくなりますからね。<了>