シカゴの夜景です。アドラー展望台のところから。
西海岸をドライブしたので、まだ「東京ローズ」の本を読みたくなりました。
私も前に226おたくのブログでだらだら書いています。
東京ローズについて、いちばんよくまとまっているはwikiですね。
終戦直後、日本にのりこんできたアメリカ人記者たちがスクープを争い、そのターゲットは天皇、東条、東京ローズの3人でした。
アイバ戸栗さんはアメリカ国籍も取り上げられたまま、シカゴカブスの球場に近い戸栗雑貨店でよく店番をしていました。
私も近所のアパートに住んでいた時期があり、ヤオハンができる前、徒歩圏内で日本の本を買うことができるのは、この戸栗雑貨店しかありませんでした。日本人社会は狭く、共通の友人がたくさんいたし、挨拶ぐらいの言葉は英語でかわします。
でも、取材やインタビューは一切ノーという雰囲気でした。私も何度かジャーナリストの同業から仲介を頼まれたのですが、戸栗さんは取材に関しては絶対にお断りだったので、その旨を伝えました。
もともとお父さんの戸栗遵はロサンゼルスで子どもたちを育てていました。が、真珠湾攻撃の後、立ち退きを要求され、アリゾナの捕虜収容所に移されたのです。戦後もまだまだ日本人排斥ムードが強かったので、シカゴに引っ越してきて、一族でこの店を経営しはじめました。もちろんそれと並行して、東京ローズ裁判があり、お父さんは死の間際まで娘を案じています。彼女に遺された多額の生命保険はアメリカ政府がとりあげてしまいました。
この2冊の本にも、そういうアイバさんの姿勢について書かれています。
前者のほうはそれでも粘り強く交渉して、アイバさんの言いたいこと、経験したこと、時代背景を綴っています。最後の一文なんて、もうすばらしい。私はこの本を戸栗雑貨店で、アイバさんから直接買いました。
後者のほうはアイバさんの店にはおいてありません。
インタビューを何度も拒否したのに、応じたように書かれているので、アイバさんは著者の上坂冬子さんのこと名ざしで怒っていたと聞きます。
晩年のアイバさんは友だちとミュージカル、オペラ、美術を見にいくのが好きで、「中老年の健康を守る会」を創立していました。また父親の出身地である山梨県人会の新年会もかかさず参加していました。
その友だちの一人が「シカゴ新報」の川口加代子さんでした。「新聞記者の私がトグリさんと親交を保てたのは1度も報道の対象にしなかったからだろう」と彼女は書き残しています。私もスポーツが専門なので、無理してインタビューとろうとは考えませんでした。
アイバさんが脳卒中で倒れる2日前も、シカゴ藤間流20周年記念公演に出席し、川口さんは「とても元気そうでしたよ」と話していました。
2006年9月26日、アイバ戸栗さんは脳卒中で亡くなりました。90歳でした。
この2冊の本は歴史を書くことのむずかしさと面白さを教えてくれます。
上坂冬子さんの作品は「男装の麗人 川島 芳子」とか、好きな作品が多いのですが、この東京ローズはあまり・・・。二重国籍だったことから起きた悲劇だったのに、やはり日本でずっと生きてきた人は「2つ国籍をもっていてずるい」という考えが根底にあるようです、終身刑で、しかも無国籍になった戸栗さんの悲劇を「自分でまいた種」と随所で責めています。
川口さんもこの本のことはよく言っていなかったから、アメリカで二重国籍児を育てた経験者にとって、おそらく共通の思いなのでしょう。
でも、だからといって、こんな本を書くな、とか、読みたくないとは思いません。
誰かが書かなかったら、歴史のうねりの中で底に沈んでしまったような事実や証言がたくさん載っているからです。