父と息子。息子のほうは大統領になる前、2回インタビューしました。
というのも、ブッシュはテキサス・レンジャースのオーナーだったからです。
最初はノーラン・ライアンがらみ、2度めは1995年のオールスターゲームのホストで、先発投手に選ばれたのが野茂英雄だったためです。
アーリントン・スタジアムの中のオーナー室で、テレビ用の取材だったので、あたりさわりなく、上品にw
部屋は広く、シャワー室もついていて、ドジャースのピーター・オマリー会長の部屋そっくりでした。
昭和史おたくとしては、むしろ父親のジョージ・ブッシュのほうに興味もっています。
たまたまこの「私の昭和史」という本を読み、夜中だったので怖くて眠れなくなり、娘のふとんで添い寝したことがあります。
この本には父島沖でブッシュが助けられるシーン、父島での人肉事件、学校の先生が戦犯として連れていかれた体験など、それぞれの証言者の言葉がリアルに綴られています。
1944年9月2日、振分山の第一砲台からの一発が、アドベンチャー機“バーバラ”号の操縦席の下部後方に命中しました。
バランスを失った機から尾翼が外れ、火の塊になって山頂をかすめ、湾内に落下していく。
パイロット2人が外に脱出したものの、パラシュートが尾翼の破損部分にひっかかって開かず、宙吊りのまま機と共に落ちていきます。
懸垂するような恰好で体を吊り上げたり、足をばたばたさせたり、パイロットたちは必死です。海面より目測150メートルぐらいのところで、一人はやっと紐がはずれ、パラシュートが半開きになります。
機体から50メートルぐらい離れて、海面におりたパイロットは夢中で泳ぎだしました。海軍の「ダイハツ」がそれを追う。アメリカ軍は一斉攻撃でパイロットをかばい、別な飛行艇がパラシュートを投下。それがぱっと開いて、ボートに早変わり。
パイロットはそこまで泳ぎ、オールを使って漕ぎはじめます。そこへ潜水艦が浮上。ささっと救助すると潜航しながら、硫黄島方面に消えていきました。
これを見ていた日本兵が寄稿しています。
私は八ミリで撮影する余裕があったことに驚きました。
85歳の誕生日、スカイダイビングしています。
パパ・ブッシュの回想によると、バーバラ機は3人乗りでした。あのときコックピットが炎に包まれ、同乗者の死を確認できないまま脱出したこと、もう一人は脱出したものの、パラシュートが開かず、戦死したこと。
他にも4機が撃墜されていて、8人の米軍兵士捕虜のうち5人が処刑されています。
この本によると、藤井指令から、
「おまえたちが今食った味噌汁には、戦意高揚のため米兵の肉を入れた」
と聞かされ、おもわず吐いてしまった者が大勢いたそうです。
人の運命ってわからないものです。湾岸戦争の年、パパ・ブッシュが大統領だった時代、私を含め長洲未来ちゃんのご両親とか、たくさんの日本人がグリーンカードを取得しました。(了)