スポーツライター梅田香子とMMカンパニー&CHICAGO DEFENDER JAPAN

梅田香子 contribute to MM JOURNAL

ぼこぼこ場外乱闘編

スポーツライター梅田香子の日常を日本語でメモ代わりに綴ったものです。

アメリカで弁護士を雇った話

 アメリカでの離婚を少し振り返っておきます。

 アメリカでは何をやるのにも弁護士がつきものです。
 宮本美智子さんの著作にも「アメリカでは人生で3人は弁護士を雇う」とあったと思います。この2冊の本はすごく好きでした。

わたしは英語が大好きだった (文春文庫)

ニューヨーク女三代記 (文春文庫 (355‐1))

 私は1991年に結婚してすぐだったか、栃木県出身の前夫が女と裁判するのに立ち会っています。
 罪状は殺人未遂。
 相手の黒人女性は2人の子供と白人の夫を連れてきました。夫はトルコに赴任していたのに、わざわざ帰国したらしく、軍服を着ていました。トルコには愛人がいて、そっちでも訴えているという話を聞いたことがあります。

 このときは裁判所にいる無料の弁護士を使いました。たまたまその弁護士はサン・シールズというブルースミュージシャンのところのトランぺッターだったので、顏みしりでした。(後にサン・シールズは寝ているところ、妻にアゴを撃たれて、すったもんだします。手術して、離婚してカムバックします。その後、自宅が火事にあい、ビンテージのギターを盗まれ、糖尿病が悪化して片足を切断します。2004年死去。私の離婚とは関係ありませんか、何度かライブには行ったことがあります)

Son Seals - Wikipedia

Chicago Fire

  さて、裁判は30秒ぐらいで終わり。Dismiss! Stay away! という内容だけヒアリングできました。

 同じ時期、グリーンカードの最終面接に備えて、弁護士を雇っていました。
 その次に弁護士を雇ったのは、家を売ったり買ったりするときです。この時点でも早くも3人突破!

 前夫はその後もこりずに、何度か女を訴えられて逮捕されたり、訴えられたり、訴えられたりしていたようです。私には隠していましたが、一緒に暮らしていたらわかります。

 裁判所の日づけをみると、2008年1月、私にたいして離婚訴訟を起こしています。

 1月といえば、私は福岡の家に子供たちといて、2月から3月にかけては前夫もきて、普通に生活していました。彼は当時2台の新車をもつ(ホンダアコードとプレリュードだったかな)宇都宮の超おぼっちゃま大学生をアシスタントにしていたので、彼もうちに泊まっていました。

 離婚訴訟の話しは全くなかったです。いつもどおり普通にうちでご飯を食べ、私の車も使っていました。

 4月、大リーグの開幕にあわせて、私がシカゴに家に帰ると、ピアノとか金目のものはすっかり空っぽ。19年も共有した銀行の口座が消滅していました。

 あとで説明がありました。夫婦であるうちは盗難の罪にならないので、財産はできるだけ自分の名義に変えておくべきなんだとか。その中に私の母の貯金も250万円(学童保育のパート10年で貯めたもの)ぐらいあったのに、

「ああ、あれはもう時間がたったから、おれのもの」

 とのこと。これは後に私の母が宇都宮の実家にも伝えましたが、むこうの親も、

「それはもう俊介のものでしょう」

 と言い切ったそうです。

 私が日本からシカゴに家に帰った、そのタイミングで裁判所から離婚訴訟の知らせが届いたので、どこかで見はっていたのかもしれません。いっしょにいた長女が号泣したことを記憶しています。

 前夫はだいたい新聞広告を見て選んでいたので、離婚を考えたときも離婚専門の弁護士を雇ったようです。名前を見て、すぐに連絡先がわかりました。

 電話して聞いてみたら、「私はあなたの夫に雇われたのだから、話しはできません。あなたはあなたで弁護士を雇ってください」とのこと。

 欠席裁判になったら、むこうの言い分がすべて通り、家も車も全部がむこうのものになるそうです。条件として2人の子供は私に親権をくれるんだとか。

 こうして、法律上の別居はスタート。2年の別居を経ると離婚は成立するそうです。

でも、おかしなことに前夫は鍵をもっていたので、食事しにうちに帰ってきていました。To be continued