アメリカでの離婚を少し振り返っておきます。
アメリカでは何をやるのにも弁護士がつきものです。
宮本美智子さんの著作にも「アメリカでは人生で3人は弁護士を雇う」とあったと思います。この2冊の本はすごく好きでした。
私は1991年に結婚してすぐだったか、栃木県出身の前夫が女と裁判するのに立ち会っています。
罪状は殺人未遂。
相手の黒人女性は2人の子供と白人の夫を連れてきました。夫はトルコに赴任していたのに、わざわざ帰国したらしく、軍服を着ていました。トルコには愛人がいて、そっちでも訴えているという話を聞いたことがあります。
このときは裁判所にいる無料の弁護士を使いました。たまたまその弁護士はサン・シールズというブルースミュージシャンのところのトランぺッターだったので、顏みしりでした。(後にサン・シールズは寝ているところ、妻にアゴを撃たれて、すったもんだします。手術して、離婚してカムバックします。その後、自宅が火事にあい、ビンテージのギターを盗まれ、糖尿病が悪化して片足を切断します。2004年死去。私の離婚とは関係ありませんか、何度かライブには行ったことがあります)
さて、裁判は30秒ぐらいで終わり。Dismiss! Stay away! という内容だけヒアリングできました。
同じ時期、グリーンカードの最終面接に備えて、弁護士を雇っていました。
その次に弁護士を雇ったのは、家を売ったり買ったりするときです。この時点でも早くも3人突破!
前夫はその後もこりずに、何度か女を訴えられて逮捕されたり、訴えられたり、訴えられたりしていたようです。私には隠していましたが、一緒に暮らしていたらわかります。
裁判所の日づけをみると、2008年1月、私にたいして離婚訴訟を起こしています。
1月といえば、私は福岡の家に子供たちといて、2月から3月にかけては前夫もきて、普通に生活していました。彼は当時2台の新車をもつ(ホンダアコードとプレリュードだったかな)宇都宮の超おぼっちゃま大学生をアシスタントにしていたので、彼もうちに泊まっていました。
離婚訴訟の話しは全くなかったです。いつもどおり普通にうちでご飯を食べ、私の車も使っていました。
4月、大リーグの開幕にあわせて、私がシカゴに家に帰ると、ピアノとか金目のものはすっかり空っぽ。19年も共有した銀行の口座が消滅していました。
あとで説明がありました。夫婦であるうちは盗難の罪にならないので、財産はできるだけ自分の名義に変えておくべきなんだとか。その中に私の母の貯金も250万円(学童保育のパート10年で貯めたもの)ぐらいあったのに、
「ああ、あれはもう時間がたったから、おれのもの」
とのこと。これは後に私の母が宇都宮の実家にも伝えましたが、むこうの親も、
「それはもう俊介のものでしょう」
と言い切ったそうです。
私が日本からシカゴに家に帰った、そのタイミングで裁判所から離婚訴訟の知らせが届いたので、どこかで見はっていたのかもしれません。いっしょにいた長女が号泣したことを記憶しています。
前夫はだいたい新聞広告を見て選んでいたので、離婚を考えたときも離婚専門の弁護士を雇ったようです。名前を見て、すぐに連絡先がわかりました。
電話して聞いてみたら、「私はあなたの夫に雇われたのだから、話しはできません。あなたはあなたで弁護士を雇ってください」とのこと。
欠席裁判になったら、むこうの言い分がすべて通り、家も車も全部がむこうのものになるそうです。条件として2人の子供は私に親権をくれるんだとか。
こうして、法律上の別居はスタート。2年の別居を経ると離婚は成立するそうです。
でも、おかしなことに前夫は鍵をもっていたので、食事しにうちに帰ってきていました。To be continued